無意識に自分で勝手に難易度を上げてることに気づこう
ぬいぐるみパパのツイート解説、本日はこちら
多くの人が「できない→やれ!」の根性論で物事を考えがちですが、もっと簡単なのは「できない→できないままでも良いのでは?」と考える事です
できる人と繋がる、そもそもできるようにならなければと思い込んでる理由を探る、自分のできる事を活かす
無意識にハードモードを選ぶ癖を改善しましょう
ということで、無意識のうちに「できない自分はいけないんだ」と勝手に自動的に自己否定の考え方が浮かんでしまう人ってすごく多いと思うんですよね。
僕が元々そうだったんだけど、できない自分はいけない、まだまだ足りない
だから自分は努力と根性で頑張らなければいけないんだ、そうじゃないと価値がないんだ
みたいに、すごく自分を責めてしまう癖って、ほとんどの人が持ってるんじゃないのかなと思うんですけど。
そのままのモードでいると、ずーっと何をしても自分を責める
まだまだ足りない、満足できない、もっと自分を駆り立てなきゃいけない
という発想法、思考法になってしまいがちで
(スキルアップや自己啓発に励む多くの人が実はこの落とし穴にはまってる状態)
それって結局、いつまで経っても心が満たされない。
なんか、自分は向上心があるとか自己成長のため、っていう風に捉えたら綺麗に聞こえるのかもしれないけど
心がずーっと枯れている、と言うか
生きてるのがしんどいモードじゃないですか?
ってすごく感じるようになった時期があって。
結局、いつも言うように、せっかくの自分の人生なんだから、自分の心の中が満たされていたり穏やかな状態で生きているのがあるべき姿で
毎日心が幸せを感じている状態で生きていくことが、本来我々人間一人一人が目指すべき生き方なんじゃないのかな、と僕は考えるようになったんですよ。
何故いつも、頑張ることを良しとした前提条件で生きていかなきゃいけないの?
何故頑張ることが前提条件で、努力することが正しいという世界観の中で、誰しもが努力を強いられなきゃいけないの?
もっと楽になっていいじゃん
もっと簡単に、手軽に、幸せになったっていいじゃん
自分の人生なんだから
という風な感じで、段々と昔の凝り固まった価値観から、肩の力を抜いて、リラックスして、心穏やかに、常に余裕を持って、という生き方に切り替えていたんですね。
これも最初はなかなか出来ないから、データを上書きしていくかのように、脳に刷り込まれている固定観念や思い込みを少しずつ少しずつ上書き修正していって
肩の力を抜こうよ、もっとリラックスしようよ、もう十分だよ、これ以上無理に頑張る必要ないじゃん、って自分を上書きしていって。
そういうのもひっくるめて、本当の自己承認というんだと思うんですけど
自分を否定しない、今の自分を受け入れる、丸ごと認めてあげる、っていう発想に切り替えていった経緯があります。
でもやっぱり、そういう発想ってぼーっとしててもなかなか定着せず、すぐ右の耳から左の耳に抜けるかのように抜けていってしまう。
人から聞いたイイ話なんて、大抵は「へー」で終わっちゃうと思うんですけど
自分が真剣に生き方を改善したくて、もう辛い人生は嫌だと決意して、本気で真剣に楽になりたい、幸せになりたいと考えた時に
ようやく、自分事で捉え、自分の頭で試行錯誤するようになるんですよね、何事も。
結局、頑張り続けて、努力と根性で、できない事をやれるように能力を高めろ!自分を成長させろ!ってずーっと叱咤激励して、厳しく厳しく自分に鞭打って、というハードモードの延長上には、どんな未来が待ってるのか?とか
逆に、できないままでもいいじゃん、頑張るのはもう嫌だよ、の延長上には何が待ってのか?
っていうのを、真剣に、詳細までシュミレーションして、追っかけてみるって言うことを、普通の人はまずやらない。
ようは、自分事として、ちゃんと自分で考えて、自己対話しながら、本心と向き合いながら試行錯誤していく
っていうことを誰よりも真剣にやるようにしていった結果、少しずつ本当に自分が望む方向性が見えてくる。
自分なりの人生哲学が確立していく。
自分ができないんだったら、できる人と繋がればいいじゃん!とか
今できる事を100%のパフォーマンスで活かしきれてないのに、更にできる事を増やそうとしても、そんな器用じゃないじゃん私は?
まずは、今できる事で、精一杯パフォーマンスを高めればいいじゃん!とか
できない事、新しい事にすぐ手を出そうとしないで、今の自分を活かすことを考えようよ!
とかっていう風に、ちょっとずつちょっとずつ自分の中でズレてる部分、見落としてる部分を修正できるようになってくる。
もっと楽なやり方はないのか?もっと肩の力を抜いて生きていくことを肯定できるような証拠はないか?みたいな感じで、ヒントを探っていくような
そんな自問自答を繰り返してたりしましたね。
思考実験が僕は好きだっていう話もよくするんですけど
本当に自分一人の能力を高めることだけが人生の成功や幸せに繋がるのか?といったら
いや、そんなことないぞ?と。
より多くの人と繋がったり、自分に才能がないんだったら才能ある人と一緒に組んだり、自分にできない事をできる人と一緒に協力する方が、全然理に適ってるじゃん、って。
更に言えば、自分ができない事をできる人だったら、素直に、何の演技も構えもなく「本当にすごいですね!代わりにやってくれて本当にありがとうございました!僕はあなたがいなかったら何もできなかったんです!」って感動、感謝できる。
感謝の気持ちを本当に100%表現できる、とか
いいことばっかりじゃん!って思うようになって
じゃあ、こっちの方が断然お得じゃん!と。
誰も無理しないし、できる人はもともとできるんだから、その人を褒め称えて感謝することで、相手も気持ちいいし、僕も無理に苦手な事、やりたくない事をやらなくても済む。
できない事をゼロから身につけて、自分に努力と根性を強いるより、もうすでにできてる人と一緒に、しかも相手も喜ぶように、みんなも感謝するように
という関係性、コミュニケーションを築いていった方が、全然みんな活き活きとできるじゃん!
いつも言うように、それぞれの個性がパズルのピースの凸と凹みたいに組み合うように、環境を整えていく、空気感をつくっていく、って方が
みんながやりたいことがやれる世界になるよなぁ、ってすごく思うようになって
それで、事業をおこす時やプロジェクトを動かす時、プライベートでみんなと関わる時とかでも、いつもその発想を持って人と接するようになった
っていう流れがありますね。
なので、もともと僕は頑張るのが嫌いで、根性論が苦手で、っていうのもあるんだけど
決してそればかりが答えじゃなくて、正解なんて本当に、いつも言うように「自分の中にしかない」んだから
自分の幸せをゴールとした時に、それって自分の感じ方次第だから、正解なんて自分の心の中にしかないんだから
そう考えたら、自分が苦労するコースを選ぶよりも、楽に楽に、自分がもっともっと肩の力を抜いて、自然体であるがまま、ありのままの自分に戻れるように
本来の自分で楽に生きれる方を選ぶ
それも練習しないと難しいので、思考を緩く広くしていく練習をしながら、上書き修正するようにちょっとずつちょっとずつ、そっちの「イージーモード」の方に考え方を移行していくといいんじゃないでしょうか、というお話でした。
ぬいぐるみパパでした。
※こちらの記事は全て音声メッセージの書き起こしです
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