ぬいぐるみパパのブログ

脳と心と感情の仕組みを攻略すれば頑張らなくても夢実現できる🌟 夢を叶えるバーチャル伝道師、ぬいぐるみパパです。みんなと一緒に楽しく夢実現する為に、メンタルやマインド、世界や経済の秘密を学生さんにも分かりやすくテキトーにお伝えしてます。20年以上究極の自由を追求してきた結果、現在は幸せなぬいぐるみライフを送っています。

異なった価値観を受け入れる為にもまず自分を承認しよう

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ぬいぐるみパパのツイート解説、本日はこちら
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幸せに成功しやすい人は「非常に偏ってる」という特徴があります
できない事は全くできない、けど優れた所は尋常じゃない
実はこれ、誰でもそうなはずなんです
違いは「自分がそれを認めてあげれるか」
人に評価される以前に自分が承認しないと決して才能は開花しません
偏りこそオリジナリティです

ということですが、これはまさに今ここで表現してる通り、「何よりも自分自身が自分の偏りを認めてあげる、全部ありのまま受け入れてあげる」ってことが一番大切だと思うんです。

偏りって表現自体、何か悪いことのようにイメージしてしまう人も多いと思うんですが、人間は本来、得意分野と不得意分野、できる所とできない所があって当然ですよね。

でも、ほとんどの人がそれを自分自身で承認する、認めるっていうことに苦手意識を感じるんですよ。

何故かというと、今までの教育は「皆が同じことをできるように、同じ能力を持つように、同じ知識を持つように」という風に教えてしまってたから。

これは今までの歴史上、どうしてもそうせざるを得ない理由があって、そういう教育システムっていうのが成り立ってきたんですよね。

だけど、これからはテクノロジーが進化して、AIやロボットが人の代わりに色んな指示に従って作業できるようになる。

しかも、一台でたくさんの作業、人間の何十人分、何百人分をこなせるようになる。

さらにそれらロボットやAI、コンピューターを何台も会社に置く、工場に置くことができるようになってくる。

そうすると、「同じことができる」って能力は、もう人類にいらなくなるんですよ。

というか、もうすでにどんどんそうなってきてるんですよね。

ここに、今なお続いている教育システムと現状のギャップっていうのが生まれてしまっていて、それがどんどん格差に繋がっている

という事実を、分かってる人はもう何年も前から本やメディアでお話ししていると思うんですね。

そもそも、「人間らしさ」っていうのは偏りがあるからこそのものなんです。

人によっては、才能の特化した部分もあれば、苦手なところもある。

これは誰でもそうですし、もっと言えば健常者と障害を持ってる人でも「できること」と「できないこと」があるのは同じ。

これだって大きな目で見たら、他の人と何の違いもなく、健常者だから優れてるなんてことは決してない訳ですよね。

今世界中で言われているのは「障害を持っている人も、別にそれが劣ってる訳じゃなくて、普通の人と同じように「できること」と「できないこと」がある、ただそれだけの話。

なので、障害者って呼び方も変えようって方向性になってきてますよね。

そういう世界観の中では、偏りはあればあるほど人間らしいとも捉えられる。

何故かといえば、テクノロジーの進化だけでなく、社会的にも色んな文化や考え方、みんなの意識が進化したことによって、「できないことを補う」ってことが昔以上に可能になってきた。

昔にはできなかった「できない部分をカバーする」っていうことが、色んな分野で可能になってきたからこそ、みんなに優しい社会の実現が可能になってきた。

ユニバーサルデザインといわれるように、みんなが平和に、みんなが幸せに生きていける社会、世界を作っていきましょうって風潮がどんどん広がってる訳じゃないですか。

これはやっぱり、全ての人類が望むべき姿だと僕も思っているので、だからこそ様々な人の個性を受け入れるためにも、承認するためにも、自分の個性や偏りを自分自身が丸ごと承認しましょう、と。

まずは一番最初に、自分自身を承認してあげることが最も大切だなぁと思って、普段からこういうお話をしてるんです。

僕自身、自分の偏りや欠点、長所も短所も含めた自分の特徴、個性っていうのを丸ごと受け入れられるようになってから、他の人の偏りや個性、特徴を受け入れられるようになったんですね。

僕は以前海外に留学してたことがあるんですけど、日本で生活していたら想像もできないくらい、海外で様々な個性と出会ってきたんです。

様々な国籍や文化の人達と関わっていくと、中にはとんでもない(とこちらが感じる)考え方や常識の人もいる。

文化が違うんだから、当然全く違う発想で、とんでもない対応をされたりすることもいっぱいある訳ですよ。

でも、そこに対して、毎回毎回感情的になってしまってたら、何も問題は解決しないじゃないですか。

その環境に順応し、そこで幸せに生きていくためには、「全ての個性を受け入れる」っていう実践トレーニングが必要な訳ですね。

日本人は特に島国文化ってよく言われますけど、そういう風に自分達と違う人、ちょっと変わった人とうまく交流するっていう習慣が今までなかったから

海外から来る人達の文化を丸ごと受け入れる、という姿勢はあんまり他の国ほど慣れてないようにも感じる。

自分達だけで共通した価値観を認識できてればそれでいいや、っていうところはすごくあると思うんですよ。

良い意味でも悪い意味でも、自分達という仲間意識がすごく強いと思う。

でも、だからこそ「違う人を排除しよう」とか、ちょっと違うことをしたら「出る杭は打たれる」っていう文化も未だに多く出てしまっていて

それは仕方ない部分もあるけど、国際的に見たら「日本ってどうなの?」と言われる部分でもあって。

それが課題になってきてるんだったら、見直す必要があるのが今のこのタイミングなんじゃないかな、って僕自身も思うんですよね。

外の世界に出たら、もう個性派だらけ、みたいな。

日本とは全然違う空気が流れていて、これでも同じ歳か?って思うぐらい全然違う発想をする人達もたくさんいる中で、もう毎日が実践トレーニングのように、自分の心の器や解釈、視野っていうのをどんどん広げていかないと追いつかないぐらい、多種多様な個性がある訳ですよね。

そういうのを受け入れるためにも、僕自身がその実践の日々の中で身に付けたっていう部分もありますけど、とにかくまずは自分自身の良いところも悪いところも、長けているところも短所や欠点の部分も、全部丸ごと受け入れて「私はこんな人間です、こんな個性です」って全部丸ごと承認してあげる。

それによって、他の人の個性もありのままに受け入れることができるようになってくる。

というか、周りが先にそうしてくれてるから、それに倣うことができるんですね。

「僕には欠点があるけど、こんな長所もある。あなたはこんな素晴らしいところもあるけど、こんな短所もある。それはお互い様だよね。

みんなできることがあって、できないこともあって、当然だよね」という物差しで世界を見れるようになってから、自分自身がすごく生きやすくなったって実感があります。

皆どんぐりの背比べのように、同じ機能で、同じ特徴で、まるで工場のベルトコンベアに乗って完成形が作られるかのような教育を受けながら、みんな同じような性能のロボットになっていく、っていうのが古い日本の考えとして今まで学校教育の中で行われてきたんだろうけど

本来は皆それぞれ、絶対に違うはずじゃないですか。

みんなみんな個性があって、それぞれのやりたいことがあって、各々考えてることや望んでることがあって、しかも得意なこと不得意なこともある。

それを丸ごと受け入れて、「私はこんな人間です、背伸びのしようもありません。

無理しても仕方がない、この格好で、この特徴で、こんな長所があって、こんな短所もあって、欠陥もあって。

でも、それら全部ひっくるめて、私です」と認めることができると、「お互い様だよね」って心境、視点っていうのが育まれてくるという感覚を僕自身が学んだんですよ。

この考え方を自分自身にも採用し、誰か他の人と対応する時もその視点で相手と向き合っていくことを自分に習慣付けていくと、本当に生きやすくなって、どんどん人と関わることも楽になっていく。

怖かった対人関係もどんどん癒されていき、みんなが個性を承認し合える社会になっていけば、それこそあなた自身も、私自身も幸せになれるし、周りの人の笑顔も増えると思い、こんな実体験も含めて紹介してみました。

ぬいぐるみパパでした。



※こちらの記事は全て音声メッセージの書き起こしです

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