攻撃的な発言をしたりマウントを取りたがる人は深層心理で怯えているだけ
ぬいぐるみパパのツイート解説、本日はこちら
攻撃的な発言をしたりすぐマウント取りたがる人は深層心理で怯えてるだけです
「風の谷のナウシカ」に出てくるキツネリスが最初にガブってするのと同じ
それを批判するとしたら、あなたも怯えてるだけです
言葉ではすれ違うので心を追っていくと「本当は誰も悪くない、怖かっただけ」と理解できます
「風の谷のナウシカ」っていう映画、僕は大好きでDVDも何度も見たりしてるんですけど
その中で、ちっちゃいキツネリスというのかな?小動物が、初めて主人公の肩に乗って怯えてるシーンがあって
「怖くない、怖くない」って言いながら指を差し出すと、その指をガブって噛んで、血が出ちゃうんですね。
主人公はそれでも痛みを我慢して、「大丈夫、怖くない、怖くない」って囁いてると、その緊張してたちっちゃなコ(小動物だからすごく警戒してたんだけど)がフッて心を開く
動物だけど、人間にフッて心を開く瞬間がすごく上手に描写されてて。
で、大好きなペットというか、あっという間に仲良しになれる、心が通じ合うっていうシーンが僕はすごく好きで
子供の時に初めて見た時「これは究極だな…」と思って、大人になってからもコミュニケーションスキルのお話とかする時によく例を出させていただくんですけど。
深層心理や心の動きを勉強すればするほど、「まさにあの時のあのシーンが全てだな」って思うようになり
やっぱり正しいと言うか、「もうあれが答えだな」って感じることがよくあって。
例えば、経営者の人とかすごく偉い人、一般的には成功してるって言われてる人でも、普段は部下の人を怒鳴り散らしてたり
サービスを受けたり喫茶店に行った時、店員さんに対して接し方がすごく雑だったりとか
偉いと言われる人、素晴らしいと言われる人でも、人間的に穏やかな人もいれば攻撃的な人もいる。
だから、お金を持ってるから凄いとか地位や名誉があるから凄いとかじゃ判断できなくて、心の中を覗いて「この人って本当はどうなんだろ」っていうのが気になって、僕はそういう見方をするのが癖ついちゃってるんですけど。
そんな視点で見てると、どんなに大きな組織のトップに登りつめた偉いって言われる人でも、すごくピリピリしてたり攻撃的だったり
で、心の中を覗くとやっぱり怖がってるんですよね。
自分がこの立場に居続けないと認めてもらえない
どこまで行っても、どんだけ豊かになっても、どんだけ組織を大きくしても、どんだけ出世しても、まだまだ承認欲求は満たされてなくって、渇いていて
だから「俺を認めろ、俺を敬え」みたいな感じで攻撃的になってきたりする。
そういうケースを実際に見て研究してたこともあるし、カウンセリングの仕事をしてたことがあるので
カウンセラーの立場でそういう人と関わると、やっぱり幼少期のトラウマだったり、ちっちゃい頃の悔しい記憶だったり、子供の頃に認めてもらえなかった惨めな思い出っていうのに縛られてる。
感情の部分、心の中で未だに怯えている、怖がっている。
だからこそ、その頃の自分が嫌いで、その頃の自分や過去がバレたくないっていう本能的な部分もあるでしょうし
隠すというか、押し殺してるからこそ、小動物がフーって威嚇する、周りに吠えるっていうのと近いような行動を人間でもしてしまう。
そういう心理描写、心の動きが本当にぴったり当てはまるんですよね。
で、その視点を持つと、すごく世の中がわかりやすくなると僕は思ってて
どんなに攻撃的なことを言ってても、どんなに偉そうなことを言ってても、人に否定的なことを言ってても、「あ、この人はそういうプロセス、そういうメカニズムで、心の中にそういう乾いてる部分がある。つまり怖がってるんだ、だったら仕方ないよね」って思えるんですよ。
で、それをちょっと履き違えると「ああいう人は可哀想な人だから」と言う人もいて、それってちょっと似て非なりなメッセージだなと。
例えば、スピリチュアル系の人でたまにそういう発言をする人がいたりしていて、「似て非なりだなー」ってよく思ってた頃が一時期あったんですけど。
「ああいう人は心が狭い、可哀想な人だから。ほっといてあげましょうね、スルーしましょうね」と言ってるあなたも、マウント取りたがってるよね?と。
可哀想じゃないんですよ、その人はそういう環境の下で、そういう心の動きがあって、今そうなってるっていうだけ
因果があるだけ、原因があって結果がある、ただの事象というか、ただそういう現実があるだけであって
可哀想っていう判断をするということは、自分が上から目線でモノを考えているということだから。
そうじゃなくて、人間はみんな、心の仕組み、脳の仕組みは一緒で、そういう環境で育ったら私もあなたもあのようになってたはずで
それは別にいい悪いじゃなくて、そういう現象として受け止める。
で、その人を別に僕は変えたいとは思わないから、特に何も思わないしこちらからは関わらない。見上げることも見下すこともしない。
本人が変わりたいと思うんだったら、カウンセリングの時に「心の中にそういう因果の因がありますよね。きっと過去のトラウマとかあったんじゃないですか?」みたいにお手伝いするだろうし(今はしませんけど)
で、自覚があるんだったら、「そこと向き合うべきですよ」みたいなお話はできるけど
本人が別にそれで困ってないんだったら、全然構わないじゃないですか。
そうやって、世の中をありのままで見ると、結局は心の中に一番のテーマ、課題があって、そういう(誰かの攻撃な)アウトプットも「そういう表現の仕方をせざるを得ない人がいるんだな」って見ることができる。
「ただそれだけなんだ」って受け止めると、自分はその輪の中に入りたくなければ別に入んなくていいだけなんですよね。
それを悪いと判断しなくてもいい、見下さなくてもいい、可哀想なんて言わなくても別にいい、と。
自分が近づくのが楽しいと思わなければ、近づかなければいいだけの話なので。
そんな風に淡々とモノを見ることによって、より世界が分かりやすくなって、自分も生きやすくなるかなーと思ったので紹介してみました。
というわけで、ぬいぐるみパパでした。
※こちらの記事は全て音声メッセージの書き起こしです
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