ぬいぐるみパパのブログ

脳と心と感情の仕組みを攻略すれば頑張らなくても夢実現できる🌟 夢を叶えるバーチャル伝道師、ぬいぐるみパパです。みんなと一緒に楽しく夢実現する為に、メンタルやマインド、世界や経済の秘密を学生さんにも分かりやすくテキトーにお伝えしてます。20年以上究極の自由を追求してきた結果、現在は幸せなぬいぐるみライフを送っています。

悪い人なんて存在しない、ただ「より良い方法を知らない」だけ

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ぬいぐるみパパのツイート解説、本日はこちら
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良くない事を「分かっててやる」のと「本当に知らなかった」では全く意味も対処法も変わります
僕にとっては自己否定する、誹謗中傷する、夢を諦める、これら全て「より良い方法を本当に知らないだけ」に見えるので、淡々と改善策をお伝えしていこうと考えてます
皆“知らないだけ”で悪くはないですよ

ということですが、僕は最初のキャリアとして、幼児教育の現場で子供達に教える立場、つまり先生をやってた時期があったんですね。

その頃から、生徒に一方的な躾というか、考え方を押し付けるっていうのがすごく苦手で、好きじゃなかったんです。

わざと悪さをしてるんだったら厳しく叱るけど、本当に知らないんだったら(本人がきちんと理解する前に)叱ることのメリットはほとんどないし

それどころか、「あの人はこっちが理解してないのに一方的に責め立ててきて、怖い思いをした」「大人は怖い」というネガティブな記憶や下手したらトラウマが残ってしまう可能性も出てくる。

なので、そういうところはすごく慎重になってたんです。

なぜかと言うと、僕自身がそうだったから。

ちっちゃい頃は、大人(というか主に父親)の言ってる事が全く理解できてないのにいきなり叱りつけられ、殴られる。

「こっちは楽しくしてただけなのに…」という、納得できない思いだけが、恐怖と共に根強く残ってしまう。

大人になってから考えると、「ああいう所ではしゃいではいけない」とか「こういう場所ではいくら嬉しいからって大喜びしちゃいけない」とかって分かるかもしれないけど

子供じゃまだ分かんないことも多いんですよ。

純粋に、嬉しい、楽しいと喜んでいただけで、説明もなく一方的に叱られる。

これでは、ただ混乱させるだけなんですよね。

うちは親が厳しくて、しかも寡黙であまりコミュニケーションが得意じゃない父親だったので、いきなり殴られたりして

本当にその都度その都度パニックだったんですね。

それが強烈なトラウマになって、「自分の感情を出すと殴られる、怖い」っていう記憶が刷り込まれちゃってて

そのメンタルブロックを解除するのに、すごく苦労したんですよ。

僕だって家族を嫌いたくはないのに、もう嫌いを通り越して恐怖しかない。

だから大人が怖いっていう思いがずーっと残っていて、自分のメンタル、自分の思考回路がそこにすごく影響を受けてるのは分かってたので

心の勉強をしていくうちに、そこにこそしっかり向き合っていこうと思うようになって。

自己否定を止めるためにも、まずそんな自分を丸ごと許してあげる。

そして、その時にそうしてしまった父親や他の大人達も、彼らが悪い訳じゃなくて、僕を嫌いだった訳でもなくて

「他の手段、方法が思いつかなかっただけなんだ」

っていう捉え方をするようになったんです。

というか、それが事実なんですけどね。

そういう風に、きちんと学んで、納得していって、全てを許す、全てを受け入れるという考え方に変わっていったんですよ。

その原体験があるから、僕自身も、子供が何か悪い事(と世間的には言われること)をしたとしても、本当はどうしてそれをしたのか、本人の心を観察するようにしてるんです。

そもそも、絶対に悪い事っていうもの自体、僕にとっては存在しないんだけどね。

何かの理由があって、人は何かの行動を起こす、そこにはただ現象があるだけ、それだけのことだから。

だけども、世間一般で言われる悪い事、例えば騒いじゃいけない所で大声を出しちゃった子がいたとしたら

わざと人に迷惑をかけたくて、目立ちたくてやったんだったら、容赦なく厳しい叱る。

だけど、そうじゃなくて、嬉しくて興奮しちゃったり、久しぶりにお友達と会えてワーイってなっちゃったんだったら

「ここでのルールはこうなんだよ」って教えればいいだけ

で、迷惑をかけたんだったら、その子と一緒に、周りの人達に僕が謝ればいいだけ

って考えてるんですよね。

その考え方の延長で、大人に指導する立場になって、いろんな現場で経験を重ねてくると

「やっぱり大人も同じだなぁ」ってすごく感じるようになってきたんです。

例えば、インターネット上やSNSで誹謗中傷したり、匿名をいいことに他人を叩いたりする人もいるけど

この人達は、実生活でより良い方法、より効果的でメリットがある活動をする場面がない、もしくは知らないだけなんだろうなぁと感じるんです。

よく言われるのが、本当に自分の生活が苦しくて、職場に行くのがストレスとか、クビになって次の仕事が見つからないとか、正社員になれないとか

現代社会の闇と言われるような様々な悩みがある、こんな時代だからこそ、競争から弾き飛ばされて負け組の立場になっちゃった人が、はけ口を求めてネット上で匿名で他人を攻撃する、みたいなことがよくニュースとかで出るじゃないですか。

それも実際そうなのかもしれない、そういうのも本人の選んだ人生なのかもしれないけど

その人達が、もっとシンプルに、もっと効率よく、もっと自分にメリットがある方法で、同じようにスッキリできるなら、別の方法を選ぶはずですよね。

僕は結構こういうのを普段から、すごく冷静に、機械的に考えるんですが

脳の中で快楽物質がブワッと発生するのは、どんなタイミングなのか?

自分の心理面が例え屈折してようが歪んでようが、人間として無条件に快楽を感じる瞬間とはどんな時なんだろうか?

っていうのを分析していくと、やりようはいくらでもあるんですよ。

多分そういう人達は、ネットで匿名で、自分の正体をバラさずに、誰かを攻撃することでしか快楽を感じられない、というかそれ以外の方法を知らない。

言い方を変えると、もっと楽しいことなんて、この世の中にはいっぱいあるのに、その人達は気づけてないだけ

より良い方法を、本当に知らない、純粋に知らないってだけ

僕はそれが事実だと知ってるんですよ。

僕にとっては、例え正体がバレないって確信してようが、誰かを誹謗中傷することによって、自分の脳にその行動と発言が習慣化されちゃうから、こんな大きなデメリットはないんですよ。

自分の発した言葉って、一番自分の脳に染み込みやすくて、それが毎日刷り込まれるから

誰かを攻撃してて「バレなきゃ自分に害は無いだろう」と思っても、その言葉って必ず自分の脳に刷り込まれるので、自己否定が止まらなくなるんです。

だから、結局自分が一番損をするんですよ。

その仕組みが全部わかってるから、僕は絶対に選ばない。

だって、僕が全然気持ちよくないから。

そんなちっぽけなことで得れる快楽より、もっと大きな快楽を感じられるような方法をたくさん知ってるから、他を選べるんですね。

人と仲良くするとか、誰かの役に立って感謝してもらうとかね。

実際にリアルで会ったことなくても、人に優しくすれば、SNSだろうが誰だろうが、感謝していただける。

感謝していただくとか、いいねしてもらうって、めちゃくちゃ気持ちいいじゃないですか。

それは分かりますよね?

誰にも肯定されない手段で鬱憤を晴らすより、真っ向から肯定してもらって、真っ向から承認してもらって、真っ正面から感謝していただいて

「仲良くなってください」ってアプローチしてもらえる方が全然気持ちいいのは当然で

そんなの当たり前なんだけど、その方法論をみんな知らないから、浅瀬の所でパシャパシャと、なんとか自分の傷ついた心を癒そうと頑張ってる。

それは、誰だって心の傷を癒すために、明るい未来が見えないけど何とか明日も生き繋ぐために、ってなっちゃってるなら、もう仕方ない。

本人にとって、それしか方法がないなら、仕方ないじゃん。

だから僕は、そういう人達を責める気はない。

但し、より良い方法を、僕は知ってるので、お伝えしますよっていうスタンスで普段からメッセージを投げてるんです。

だから本当に、僕の中では、誰も、何も、悪くない

もうこれを20年以上、ずーっと口癖のように言い続けてるんですが

この世界では、誰も、何も、悪くない。

否定する必要は一切ない。

より良い方法だけが存在する。

だから、より良い方法をみんなでシェアしていけたらいいなと思って、こんな話を続けています。

ということで、ぬいぐるみパパでした。



※こちらの記事は全て音声メッセージの書き起こしです

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