信じるから裏切られる、でも「仲良くなる」には信じるという概念すら必要ない
ぬいぐるみパパのツイート解説、本日はこちら
人と交流する経緯が少ない人ほど「信じる」「裏切られる」とか多用する気がします
僕も一時期そう感じてましたが、そもそも信じるから裏切られる訳で、でもそんな概念一切関係なく「仲良くする」ことは可能ですから
お互い依存せず健全な人間関係を築けば信じる裏切るから無縁の人生になると思います
これ、ちょっと解説が必要だなと思うんですけど
僕は、「信じる」って言葉をある時期から使いたくないな、と思って使わなくなったんですよ。
で、そもそも、信じる信じない、とかじゃなくて、信じるって概念を手放そう、と言うか
なんかもう、言葉の通りなんだけど、信じる→期待する→だから、信じた通りにならないと裏切られた、ってなる訳じゃないですか。
じゃあ、そもそも「信じる」っていう事が発生しなければ、そういうことがなければ、「裏切られる」っていう発想が生まれなかったはず、って思ったんですね。
では、信じなきゃいけないのか?って言ったら、友達と仲良くなるってことに「信じる」って必要か、と思ったら、「特に必要ないんじゃないか?」って新たな仮説が僕の中で生まれてきて。
だって、「何かをやってほしい」とか「こうあって欲しい」っていうのは、依存じゃないですか。
自分の一方的な思い込みというか、執着であって。
自分が精神的に自立していて、自分の心が安定していたら、「こうでいてほしい、こんな時こんなアクション、リアクションをして欲しい」っていう期待とか信じるっていう事が、要らなくなるんですよね。
で、もっと言ったら、自分が無理せず、自然体の状態でいて、(いつも言うように)自分が自然体で「こんな私を受け入れてくれる人とだけ仲良くしたいです」というスタンスで生きていて
そんな自分に近寄って来てくれて、仲良くなれた人
(って、最初の人間関係の作り方から見直さなきゃいけない部分なんですけども)
その自分でも「いいよ」って、「その代わり、私も自然体でいるよ」っていう人と繋がってたら、何の不具合も生じないんですよ、僕の経験則から。
今も僕、そうやって人間関係を作ってるんですけど。
僕は誰かに期待をしない、だってその人の気分次第だもん。
で、僕はそれを頼らなくても、自分は心が安定している。
僕がやりたいことは、一人でも淡々とする。
それが、いつも言うギルドとかコミュニティって発想にも繋がるんですけど
僕がやりたいことを「こんなことやりたい!」って言った時に、協力してくれる人は一緒に楽しもうよ、と。
ようは、子供の遊びと一緒ですよね。
「この指とまれー」みたいな。
「かくれんぼするー」って言った時に、気分が乗った人だけがワッて集まって、ギルド的に一緒に協力して、何か試練やミッションに挑戦する、遊びをやる、ゲームをやる
で、終わったら散る、っていうのを繰り返す
そんな、ドライだけど、誰も嘘をついてない状態を心地いいと僕は感じるようになって。
そうすると、誰にも依存しないじゃないですか。
自分の自由な時間もあるし、相手のことも尊重できるし、「自分がこれだけ自由にやらせてもらってるんだから、相手の自由も相手の意見も尊重しようよ、考え方を尊重しようよ」っていうのが自然にできる。
綺麗事じゃなく、腑に落ちて、納得したレベルで、行動として実践できる。
そうすると、本当になんか突然、自分が期待してたことと全然違うことをされても「裏切られた」っていう発想にはならないですよね。
「そういう気分だったんだ〜」みたいな。
気の迷いって言ったら変だけど、気が変わって、「あ、そうなったんだ?へ〜」って眺める、という
そんな感覚で、僕はものを見てるんですよね。
だからいつも、来るもの拒まず去るもの追わず、なスタンスだし。
寂しいなって思うことも、ありますよ?
本人がずっと笑顔でいてくれるならいいけど
一時せっかく仲良くなったんだから、ずっと楽しそうに、これからも夢を持って、お互い幸せな人生を歩む上で、別の道を選ぶんだったら全然「いいね〜」と思って眺められるし
たまには「向こうはどうなのかな〜?あ、あんな素敵な活動してるんだ」みたいな風になればいいんですけど
「そっち行ったらしんどいよー」みたいなところを、あえて我を通して、結局僕や僕の周りの仲間達と気が合わなくなって去って行く、だったり
勝手に劣等感だったり、なんか悔しくなったりとか、いろんな感情がもつれて距離が遠くなってしまい、去って行ってしまって、寂しくは感じることは多々ありますけど
それは止めようがないからね。
僕は人を変えたい訳でもないし、誰かをコントロールしたい訳でもないし。
で、そんなのも常に常に、仲間内にもオープンで話して、それでも一緒にこれからも楽しく、遊びながら生きて行こう、っていう感覚を良しとしてくれた人だけで集う。
その居心地の良さというのが、実は「信じる、裏切られる」っていう概念からすらも離れた、健全な人間関係なんじゃないのかな、と思って、僕は楽しく毎日を過ごしておりますという話でした。
というわけで、ぬいぐるみパパでした。
※こちらの記事は全て音声メッセージの書き起こしです
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