成功する人は成果が上がる部分にのみ集中しているので結果が出る
ぬいぐるみパパのツイート解説、本日はこちら
ほとんどの人が成果を上げるのと関係ない部分を気にしすぎる為に時間も意識もそっちに持ってかれます
成功しやすい人は成果を上げる部分に夢中になる為、他が一切気にならない、結果当たり前のように成果が出ます
自分が何を普段気にしてるか見直してみると自分が成功するか全くしないか分かりますよ
ということなんですけど、いつも言うように人間は感情の生き物、心理の生き物なので
頭で冷静に客観視して、頭で考えて最適解を出して、「これをやればいいんだよね、そりゃそうだよね」と理解したとしても、「そうは言っても…(わかっちゃいるけど、できない)」という部分が必ず出てくるじゃないですか。
まあ、それでこそ心が活き活きしている状態というか、人間らしさがあって、僕はそれはそれでいいと思うんですよ、本人が納得してるならね。
だって、何もかも算数のように解ける状態っていうのは、AIや機械と変わらないじゃないですか。
(AIのように考え)最適解を出そうって表現を僕もするんですけど、それはあくまでも心を優先した後の話。
例えば、「AIのように自分を客観視して、最適解を出した上で、理に適った行動を最短近道で最大効率化して進めば、そりゃ誰だって自己実現、夢実現できるよね?じゃあ、そうしましょうよ」っていう表現もするんですよ。
でも、それは何故かといったら、心の問題が解決して、心が納得した上で、それでも先に進まないというのは多分勘違いしているだけ、という「脳の活用法」の話。
ようは、今までの思考パターンが染みついてるせいでうまくいかない場合
心がもやもやしてた状態、何もわからなかったり自分で自分を否定してた頃につくり上げた思考回路が、引き継がれて続いちゃってるだけなので、そこを割り切って最適解を出せば、簡単に問題は解けます。
それが、この世の中のシンプルなルールです、という話ですね。
だから、いつも一番最初は「心を解決する」
で、心が解決して、ゼロ状態(と僕は表現しますけど)、自分がゼロになって、全てが客観視できるようになった状態
感情に引っ張られて思考回路が偏りを持っている状態じゃなくて、ゼロの状態になったところで世の中を見れば、「何をすれば一番成果が出やすいか」という一番の近道が見えますよ。
それって特別じゃなくて普通のことですよ、という話をいつもしてるんですよ。
そのためにも、まず自分と向き合いましょう、心と向き合いましょう、と。
わかりやすくなるように極端な表現をすることが多いんですが、例えばあなたがお金を稼ぎたいとします。
僕が言ってるのはいつもシンプルなことで、
お金が欲しい、お金を稼ぎたい
↓
なら「稼げばいいだけ」で
↓
「稼ぐにはどうしたらいいか?」と言ったら、いつもお話ししてますけども
↓
「相手が求めているもの」を提供するだけ
ようは、お金を払ってでも何かを得たいって人はたくさんいるんです。
だってそういうもんだもの、資本主義って。
経済ってそういうもんだもの、ってことじゃないですか。
あなたも何か欲しい時に、お金を払って物を買ったりサービスを受けたりするじゃないですか、誰だってしますよね。
だから、逆を考えると、自分がお金を欲しいのなら、「どなたかがお金を払ってでも得たいもの、得たいサービス」っていうのを探してきたらいいだけ。
探してる、求めてる、「そのためにお金を払うよ」って準備ができてる人はたくさんいるんだから、その人達を見つけて、その人達にお金を払っていただけて、満足してもらえるようなサービスや商品をお渡しすればいいだけの話
これ、内容としては簡単ですよね?
お金を払いたがってる人(払いたがってるとはちょっと違うかも知れないけど)、ようは払う準備ができてる人、言い方を変えると困ってる人、商品を探してる人、求めてる人を見つけて、「どうぞ」と渡せば
当たり前のように「ありがとう」って買ってくれる。
いつも言いますけど、お礼、感謝の証としてお金を頂けるんですよ、本来の商売は。
それが一番簡単というか、一番当たり前なお金の稼ぎ方、ただそれをすればいいだけ。
だけど、「お金が欲しいんだったら、それをすべきですよね?」と伝えて、初めはそうですよねと納得しても
何ヶ月か経ち、半年、一年と活動していくと、それができなくなる人がいるんですよ。
そういう人はどういうパターンかというと、よくあるのが「なぜか自己主張、自分の正しさを表現しだす」
ちょっと調子が良くなって、商売やビジネスが順調になり始めると、なぜか自分の意見を上から目線で伝えてきたり
お客様が今まで支えてきてくださって自分があるはず、自分の商売、自分のビジネスがあったはずなのに、「これが正しいんだ!これが俺のやり方だ!お前らわかってない!」とかって意見をいきなり出し始める人とか。
人間性が出てきちゃうんですよね、長い時間の経過と共に。
で、それって、ちょっと巻き戻して「その行為は(さっきお話した本来の)お金を稼ぐことと、何か関連してますか?」というと、してないはずなんです。
巻き戻すと、「お金を払う準備がある人に対して、その人が求めてるもの、ニーズを探ってお渡しすれば、『ありがとう』が返ってくる」
そこに、あなたの主観、あなたの正しさは関係ない。
ようは、求めてくださってる方への、キレイな言い方すると社会貢献ですね。
困っている人、求めている人達のお役に立てるように
お役に立てるように、あなたをゼロにする。
自分をゼロにして、お役に立てるようにする人が、一番お金が流れてくる、ってシンプルな話なんですよ。
で、自己主張したいんだったら、お金を稼ぐのとは別の活動として、分けて考えたほうがもっと解決しやすくて
「誰もわかってない!俺を認めろ!俺を理解しろ!」とやってると、商売とはズレてくるんですよね。
それが悪いとは言わないけど。
もっとシンプルに考えましょ?
お金が欲しいんだったら、お金を渡してくれる人の「お役に立てばいい」だけです、といつも簡潔に、スパッと伝えてるんですよ。
それが分からなくなってしまう、というのはやっぱり心の理由なんですよね。
成果というのは色んな価値基準、物差しがあるので、「何を持って成果とするのか」は人によって違うと思うんですけど、うまくいく考え方っていうのはやっぱり常にシンプルだと僕は思うので
何かを求めるんだったら、それが最短で手に入る方法っていうのは必ず相手の期待に応えること
「問われている質問に答える」、みたいなシンプルさだと思うんです。
(自己主張のような)それ以外のことをやり出すのは、どっかで承認欲求が頭を持ち上げたりだとか、余計な部分
それを否定はしません、ダメとは言わないですけど、余計な部分が出た時に、それすらも客観視して
「あれ?なんで私はこんな事やってるんだろう?」
「これって…ちょっと違うよな」って思えるか思えないか
全ては自分で客観視して、何が起きてるか正解に見極める。
自分の心の中と世の中にキャップが生じてるんだったら、何故そうなったのか?を追えるか追えないかの違いかなと思っております。
ぬいぐるみパパでした。
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悩みをなくすのは簡単、解決策を見つけて実行するだけ
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悩みをなくすのは簡単で、解決策を見つけて実行するだけです
しかしほとんどの方が解決策を探さずに文句を言う、もしくはほんの少し調べてすぐ諦める、を繰り返します
これは「苦労自慢を認めてほしい」という承認欲求からくる場合が多いので、本気で解決したいなら真剣に探すとすぐ見つかりますよ
というお話で、これは結構「心のお勉強」をしていると、非常に興味深く眺められる現象の一つだなぁって僕はつくづく思うんですけど。
心の中を覗いてみたり、心がどう動いていくのか、人にどう作用するのか、というのが僕は興味があってもう20年以上ずっと追いかけてるんですが
そうすると結論、「あれ?この人は(本音、深層心理では)問題を解決したくないんじゃないのかな…」ってところに行き着くことがよくあるんですよ。
「悩みがあります」とか「私はこんなに問題を抱えています」「私の人生はうまくいってません」って相談や質問をされる方がいて
「だったら、こうすればいいですよね」と客観視してお答えする場面がこれまで何度もありました。
もちろん、心の問題をクリアするために、いろいろお話を聞いたり「寄り添っていく」という手法もあるんですが、問題解決としての質問を受けた時は「だったらこうすればいいですよね」って客観視した上で最適解を提示する、というやり方もあるじゃないですか。
それは、相談を受ける側がカウンセラーなのか、コンサルタントなのか、立場によって色々とお話の持っていき方で変わると思うんですけど
大抵の方は、「心を癒してほしくて」という裏の目的がある。
(人間っていう生物が元々そうなんだと思うんですけど)
心の理由と書いて「心理」って言いますよね。
心理が大元になっている、つまり人は感情で動いている、というのがほとんどなんだと僕からは見受けられるんですね。
だから、「理屈ではそうかもしれないけど、心が満たされてないから」という心の理由で、こう動く、こう行動する、こう考える、って人がほとんどに見えるんですよ。
で、それは全然悪いことではなくて、そもそも心がなかったら人は生きている事を実感できないとか、色々と深い話になってきちゃいますけど
それはそれでいいと思うんです。
「人間はつくづく感情の生き物だな」と納得してるので。
それが、「心理がこじれる」から途端に厄介になる(という、あんまりよろしくないと思いつつ、こう表現させていただく事も多いんですけど)
「この人はなぜ、同じ事を繰り返しながら『私は苦しい、何とかしてください』って言い続けてるんだろう?(嫌なら行動を変えたらいいのに)」と不思議に思いながら観察していくと
「あ、そうか!この人が小さい頃、幼少期に抱えたトラウマや辛い思いによって感情が抑圧され、押さえ込まれて
その自分が未だに満たされない、そこから承認欲求の根っこが伸びてきているから
問題が解決できないことに不満を言ってるのではなくて、『この苦労している自分を認めてくれ!これだけ頑張ってるんだから、いい子いい子してくれ!よしよししてくれ!許してくれ!』という、内側からの泣き叫ぶような想い
それが具現化し、行動として実世界で表現されてるのが、この同じパターンで延々と悩み続けるという謎現象の正体なんだな!」というのが見えてくる。
うまくいかない、うまくいかないと言い続けている、これこそがこの人のオリジナルパターンなんだな、と。
伝わりますかね?よくあるんですよ、こういうケース。
僕自身がそうだったからすごくよく分かるんですけど、「あ!この人、口ではこう言ってるけど、深層心理ではそうじゃないな?
『これだけ苦労している私を認めて!認めて!』と、認めてもらうことが本人の求める答えで、問題は逆に解決しちゃいけないんだ!」っていう人とか、実際にいるんですよ。
伝わるかな…?
問題を解決しちゃうと「自分は苦しんでます」って言えなくなっちゃうじゃないですか。
だから、複雑な話なんですけど本当にこれもよくあって、僕も若い頃すごくドツボにハマってて
その頃にご指導くださってた先輩方というかメンターに教わったんですけど、「自分が成功する、自分が幸せになる、というのを拒絶する心理」ってあるですよ。
自分が幸せになってはいけない、満たされてはいけない
満たされてしまったら、自分の中の、内側の本当に核の部分に未だに残っている、ちっちゃい頃からの承認欲求が置き去りになってしまう。
ようは「私はこんなに苦労しているんです。だからお父さんお母さん、私のことを褒めてください!そのままでいいんだよ、と愛してください!認めてください!」っていう、ちっちゃい頃の強い叫びが眠っているとするじゃないですか。
(抑圧された感情と僕は表現しますが)
これが満たされてないので、自分が今幸せになっちゃうと、この子が一生満たされない
変な言い方ですけど…
だから、「私は幸せでいちゃいけない、私はずーっと苦しんでいなきゃいけない、なぜならあの頃の私がまだ満たされてないから」みたいな
複雑にからんだ心理ですが、紐解けてくるとすごく分かりやすいんですよ。
自分の中で抑圧された過去の欲求、感情が、ずーっと派生して派生して、「私は満たされちゃいけない、私は成功しちゃいけない、私はお金を稼いじゃいけない
なぜなら、ずーっとずーっと苦労していくというキャラクターで成立しているから」
これを自我というんですね。
自我が崩壊すると精神が不安定になるとかもよく言われるんですけど、すごく根深くて。
で、そのパターンに自分がハマっているという自覚ができた人から、ようやく抜け出せるんですよ。
だから、人が何を言っても仕方がない。
もう完全に自己洗脳(って表現は強くてあれですけど)になっちゃってるので、自分で「自分はそうなんだ」と思い込んでますから。
これは、人が何を言おうと、どうにもできないんですね。
自分でまず気づくこと。
「あれ?これっておかしくないか?
幸せになりたいって言いながら、ならない方へならない方へ行動してないか?」って、自分の違和感に自分で気づくことが必要で
そこに気づけたら、あとは淡々と問題を解いていく。
これも僕がよく言う例え話ですが、まず感情を一旦落ち着かせた上で、自分がAIになった気分、自分がコンピューターになった気分で、現状を冷静に客観視して、最適解をまず出してみる。
やるかやらないかは別で、まず解決策を出してみる。
で、そこにすんなりと進めるならいいけど、心がギューってブレーキをかけるんだったら「何でブレーキかけたんだろ?最適解はこれのはずなのに」と照らし合わせをやるんですよ。
最適解はこっちです
↓
だけど自分は心がブレーキかけてできません
↓
「それは何故なのか?」っていう根本の問題を解決するために自分としっかり向き合う。
そこに注目していくと、自分が本当に求めているものや自分の心のブレーキの理由が見えてくる。
わかるようでわからないような話なんですけど、これも何回か続けていかないと、伝わる人と伝わらない人が出てきちゃうかなと思って、例え話をこれからもいくつかしていこうと思います。
ということで、ぬいぐるみパパでした。
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他人の評価に過敏にならず自分が満たされることを優先しよう
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成果を上げないといけない、実績を積まないといけないと思い込んでる人が多いですが、これら全て「他人の評価」に過敏になってるだけです
自分が幸せになるのも夢を叶えるのも全部自分のさじ加減なので、本来他人の評価は一切関係ないはず
通知表があるのは学生時代だけなのを大人も思い出しましょう
これは、柔らかく言っているようで、人によってはすごく厳しいというか、突きつけられてるように受け取られてしまうかもしれない表現なんですけど。
僕はいつも、あえて「夢実現」という表現をさせていただいてます。
「成功」という表現ではなく、夢実現とか幸せになるための自己実現、とかね。
外からの評価より、自分の内側を満たすため、僕は全てをその物差しで考えてるんです。
「だって、自分の人生じゃん」という感じで。
だけど、こういうことを言うと
「いやいや、通知表があったのは学生時代だけかもしれないけど、社会人になって会社にいたら成果を上げろと上司に言われるじゃないか」
「実績を積まないと、お客様に評価してもらえないじゃないか」
「他人の評価から逃げてたら、綺麗事じゃないか」みたいな意見があるのも分かります。
重々分かりますけど、僕がいつもお伝えしてるのは、それも「手段」なんですよということ。
そもそも、会社に勤めるのも、お仕事するのも、手段なんですよ。
全部が手段で、「目的は何?」といったら、「自分が幸せに生きること」だと思います。
これは、人には押し付けないですよ?
僕はそう思う、という僕の価値観なので、「いや違う」という人がいても全然構わないんですけど
「人はなぜ生きているのか」っていう本質論を僕はお話していて、僕の意見、僕の考えとしてもう昔から同じこと言ってるんですけど
人は幸せに生きるのが「目的」で、それ以外は全て「手段」
心が満たされて、心穏やかに、毎日にこにこ笑顔で、みんなと仲良く(仲良く、は各々のさじ加減ですが)
もうとにかくまずは内側が満たされる、自分の心が平安、平穏であること、そしてそれが続いていくのが幸せ、と僕は考えてます。
で、それが目的であって、そのために手段として、お仕事をする。
なぜなら、お仕事をしてお金を稼ぐことで、お金で物を買って生活ができるから。
だけど、そのお金も手段。
好きだったら、田舎とか大自然の中で自給自足しても間違いではない。
でも、それも手段。
それも正解も不正解もなくて、本人が選べばいい。
根っこには目的があって、その目的というのは個人個人、一人一人が「まずは自分が満たされること」
というのが、僕の割り切り方なんですよ。
僕はここに答えが出ちゃってて、僕が納得しちゃってるから、他にいろんな意見があろうと「あ、そうですね。あなたはそう思うんですね。でも僕はこう思います」というのを、もうニ十年ぐらいずっとお話し続けてるんですね。
だから、僕を違うと言う人にも、おまえは甘い!とか綺麗事だ!って言う人にもたくさん出会ってきたけど、言っててもらって全然構わない。
けど、「僕の中の答えはこれです」というのをお話しさせて頂いてます。
なので、僕が最初に選んだのは、「そういう評価される社会の中で生きていくのは、僕が心が満たされないから、じゃあ起業しよう」って自分で会社を興したという経緯がありました、実際に。
自分が起業家や経営者をして、他人の評価じゃなくて「自分がいいと思うことを実現する」ことによって、自分のライフスタイルを維持してた頃もありますし
もちろん、その後で会社に勤めることも経験して、いろんな方々のお世話になって、お仕事をいただいてる今の雇用される立場でも、基本的に想いは変わらない。
今は今で、また自分が成長してきたからというのもあるかもしれないけど、他人の評価っていうのは全然気にしてなくて
僕が僕の好きな仕事や業務をやりたいようにやらせて頂いてるけど、有り難いことに会社の皆さん、社会の皆さん、お客様がみんな喜んでくださってて
「ああ、幸せだな」っていう、完全に納得した状態で毎日暮らしてるんですね。
で、僕の現状というのは(何度も言いますけど)、「他人の評価がなきゃ生きていけない」っていう状態からは完全に脱していて
そこに辿り着くまでには、ずーっと自問自答を続けてきて、色々うまくいかない事も含めてトライ&エラーを重ねてきた人生があったからなんですけど
そんな僕の中の基準では、人生とは「常に自分で選択するもの」
自分の幸せって何なんだろう?
せっかく生まれてきたんだから、自分らしく生きていたい
心が満たされる環境ってどんなんだろう?
そのために自分は何をすべきなんだろう?
っていうのを、もう十代、二十代の頃からずーっと考えて、ずーっと追っかけてきた結果、今すべてに満たされている、すべてに満足しているっていう現状があって。
それには、自分で起業するのが必ずしも答えではないし、今となってはお勤めの立場でもすごく幸せでいられるので、それは全然どちらでも構わないと思うんだけど
何度も最初から繰り返してますけど、「目的」と「手段」を明確にする、これが最も大切ですね。
「〜しなきゃいけない」と思ってるのは、そうさせられてるっていう発想があるから。
「しなきゃいけないこと」なんてこの世にはなくて
あなたが幸せになりたくて、あなたが心満たされたくて、夢実現したくて、「したいからやる」っていう発想が本来あるべきものだと思うんです。
「しなきゃいけない」っていうのは、ルールが先にある世界観
これ、伝わりますかね?
ルールが先にあると「しなきゃいけない」になるんだけど、そうじゃなくてルールはない、ルールは自分が作るものって世界観なら「したい」か「したくないか」だけになる。
その上で、「したい」を選び続けるっていう方向に考え方や発想が向かうと、いろいろ生きやすくなるんじゃないかな、と。
でも、いきなりそういう発想の転換は難しいので、何度も自分との対話を繰り返す。
なぞなぞや禅問答じゃないですけど、自己対話、内観、そういうのを僕はやってきました。
その中で、本当の答えって何なんだろう?と常に常に自分と語り合いながら、一つ一つの物差しや基準、さじ加減というのを自分で尺度で決めていった結果、幸せになれたのでおすすめですよ、というお話をさせていただきました。
ぬいぐるみパパでした 。
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苦労自慢をする人は勇気を出して「頑張らない」にトライしよう
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苦労自慢したがる人は承認欲求が溢れすぎて制御不能な状態です
僕も過去かなり苦しみましたが、このパターンに陥ったら頑張れば頑張るほどドツボにハマるので勇気を出して“頑張らない”にトライしましょう
人はあなたの苦労自慢にうんざりしてるので頑張らないと自慢も収まり逆に好感度が上がります
これは、僕自身の過去そのままですね。
本当に何度も何度を繰り返してきた、あまりよろしくない習慣で
僕は基本的に、何が悪いとか悪くないっていう、良し悪しの発想(こういうのを二元論といいますが)、二つに分ける考え方自体を手放したので
その頃の自分を「悪い習慣を持ってたな」と思うことも今更ないんですけど。
仕方がないよね、生まれ育った環境の中で、そういう風に自分が苦労してるのを自慢、というかアピールを精一杯しないと認めてもらえないんじゃないかって思い込んでたんだから、と。
それほど、頑張っても頑張っても評価してもらえなくて、それがこじれにこじれて
頑張って良い点をとっても、優等生でいても、真面目でいても、承認欲求が満たされない、褒めてもらえない
っていうことは、少なくとも何点とろうが、どんな成績を取ろうが、褒められない
上を目指しても、証明しても、認めてもらえなくて満たされないんだから、「せめてその苦労をして苦しんでいる姿を見せることで」という発想が生まれて…
(これ、すごくこじれちゃってる状態なんですけどね)
苦労して苦しんでいる僕を見せることで「せめて怒ることはやめてくれ!否定して虐げる、苦しめることだけはやめてください!これだけ僕は傷ついて、苦労して、それでも何とか頑張り続けているので、許してください神様!」
みたいな精神状態の子供だったんですよ、僕。
本当にそういう人って現代社会に多くて、頑張っても頑張っても報われないんだったら、せめて苦しんでる姿を見せて「これ以上傷つけないで!あなたが傷つける前に私が私を傷つけてますから!って
この心理描写はすごく痛々しいですが、僕自身が強烈にそこにハマってて
それを僕はメンターに「あなたは十字架を自ら背負ってます」と教わり
自分で罪人の心理状態を作り出してる、「それは自分でやってるんだよ」というのを気づかせてもらって、トレーニングを受けることで解放していった経緯があるんですけど。
そういう「こじれ過ぎた自作自演」状態なんですよね、本当にびっくりするぐらい。
で、本人は気づかないんですよ、そのスパイラルというか思考パターンに。
自分で自己洗脳してるかのように刷り込んでしまって(幼少期の過去の辛い記憶、辛いその状況から抜け出したくて)
で、刷り込んでしまった上で、その思考回路っていうのがもう無意識の習慣化されちゃってるんで
脳もデータを扱う機能でしかないので、それこそ貧乏ゆすりが無意識に行われるのと同じように、考える回路のパターンも癖になっちゃって抜けられない、というね。
外から見たらおかしなくらい、「なんでこの人は自分で自分を罰するんだろう?」というぐらいに発言も行動も、全て自分を傷つけるために行なってしまう、っていう非常に切なくて悲しい状態。
ただただ愛されたいだけなのに
そういう心理パターン、思考パターンが僕にもありましたし、これを聞いて「私もそうです」という人も多いかもしれません。
で、このパターンに入っている人達は、救われたくて救われたくて、苦労自慢をするんですよね。
「こんなに寝てない!こんなに頑張ってる!こんなに苦しんでいる!」イコール、心の声は「だから助けて!だから私を愛して!認めて!承認して!」なんですよ。
これって、どう考えても変ですよね?
こういう人が、じゃないよ?僕が過去の自分を思い返して「なぜあの時気づかなかったんだろう?」って意味で言うんですけど
これ、どう考えても、周りの人は見ててあまり気持ちよくないんですよ。
なんなら、うざがられるんですよね。
「何こいつ…気味が悪い…」みたいな。
僕が極端すぎたからですけど、極端すぎると本当に気味が悪いくらい、自分で自分を自虐して、唯一それでしかアピールができないっていうパターンに陥っちゃってる人
この人は、やっぱり責めたら逆効果だから、責めるものではないと思うんです。
一番責められたくないのが本人なんだから。
だから、自分で気づかなきゃいけなくって
それを自己分析というか、自分で自分と対話しながら、自分の奥の方に掘り下がっていくと、結局そのスパイラルにハマってる状態すべてが自作自演だったことを自覚し始める。
頑張る、というよりも苦労してる、苦しんでるアピールをするというぐるぐるにハマっちゃってるんだなあ、と。
「これって、やればやるほど悪循環で、やればやるほど人は去っていくんだな、そんなの誰も見たくないもの」という客観視もできるようになる。
みんなに自分が痛々しいんだから
痛々しい人を見たくてやってるんじゃなくて、自分を認めて欲しくてやってるんだから
同じ病、といったら言い過ぎですけど、同じパターンにハマってる人からは去っていくじゃないですか。
ハマったままだとどんどんどんどん人間関係がおかしくなっちゃうから、頑張らないって決める。
このスパイラル、ぐるぐるを止めるために、頑張らない、苦労しない。
「頑張る」を止めると、アピールできないので
苦労を絶対しない、頑張ることを絶対しないっていうところにまずブレーキをかけると、苦労自慢をする元がなくなっちゃうから、苦労自慢をしなくなる。
そうすると、自分が苦しんでいたスパイラル、パターンから一回抜けられる。
だけど、習慣だからまた心がなんかぐずぐずしてきて、また苦労自慢したくなる。
「他に方法がないんだもん!私を認めてもらえるすべが他にないんだもん!10年、20年、30年と繰り返してきたけど、誰も認めてくれなかったんだもん!」って、過去の感情がまたぶり返してくる。
その感情と、ゆっくりゆっくり時間をかけて、じっくり向かい合っていく
というのをやってることで、ようやくこの苦しみから抜け出して、心が落ち着いてきたくらいになってくると、その段階でようやく周りも
「あの人、最近変わったよね」
「昔はすごくウザいくらいに苦労自慢してアピールしてきたけど、最近そういうのなくなって、穏やかになったよね」
という風に変化し始めるんですね。
これは、経験してみないとピンと来ないと思いますが。
なので、本当に最初は難しいですけど、まずは自分で自分と向き合ってみて、答えを出す。
で、ゆっくりと自分のペースを取り戻す。
自分に無理をかけない、これ以上頑張らせない、なぜならもう十分頑張ったんだから
「ここからは、頑張らない人生にトライしよう」という練習をしてみてもいいんじゃないでしょうか。
ということで、ぬいぐるみパパでした。
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努力根性苦労を強制する流れを断ち切り楽しいを次世代に引き継ごう
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楽しいなんて追うなというのは戦後貧しかった時代に国を再生する為に広めた考えであって、今や何の根拠もない筈なのに未だに多くの人が楽しんだらいけないと思い込んでいます
それほど思い込みとは強力で、苦しんだ人ほど次の世代に押しつけます
気づきましょう、もはや苦しむ理由は全くありません
ということで、僕は元々が教育業界からキャリアを積み始めたので、学習や成長の仕組みについて調べてた時期が長くて
最も学習意欲が継続する、モチベーションが高まったまま持続できて学習効果を発揮する、脳の記憶する効率がいいのは、やっぱり「生徒さん本人が楽しんでる状態」というのがすごく納得いってて
そのためにはどうしたらいいんだろう?→授業を楽しくしたらいい、レッスンを楽しくしたらいい→先生と生徒が信頼関係で結ばれたらいい、というのがどんどんどんどん腑に落ちていったという経緯があって
やっぱり楽しいのが一番だな、と。
しかも、無理やり宿題を出すとか、テストでいい点数を取るように競争を仕掛けるとか、そういう仕組みを作るよりも、本人が「ここが楽しい!」って思えるようなアプローチをした方が効率的。
誘導するって訳じゃないですけど、学校教育だったら例えば、理科でみんなわちゃわちゃ実験をしながら「楽しいねー」って盛り上がり、モチベーションがそっちに向かっていくとか
授業がゲーム感覚で「面白いねー」って自然とそっちに興味が行くとか
もっとプライベートの塾とかだったら、その個人が本当にも元々やりたい!好きだ!って思ってるものを見出していくとか
本人の夢を具体的にイメージして思い浮かぶようなところまで導いてあげて、「じゃあ、そのために進学するなら今はここにフォーカスしような」とか
そういうコミュニケーションを積み上げていって、本人が本当にやりたい!本当に楽しい!って感じる方向性に連れていく。
「連れていく」って表現はちょっと上から目線ですけど(僕は若い世代こそリスペクトするという考え方なので)
そっちに本人の意思で向かえるように、最大効率で、最大の学習効果が生まれるようにお手伝いをする
というのが僕の昔から持ってる教育論だったり、もっと言うと一番簡単なやり方、一番手っ取り早くて理に適ってるパターンだなと思っているんです。
思ってはいるんだけど、いるからこそ僕はそうやり続けてきたんだけど…
そういう自分が追求してきた、自分の持っている「これ、どう考えても一番楽だし、一番楽しいし、みんなが笑顔なんだけどなー」という想いへの確信が強くなればなるほど
「じゃあ、なんで世の中は、こんな簡単なことに気づかないんだろう?」とすごく不思議に思うことがだんだんだんだん大きくなっていって。
「だって、大人達も昔は子供だったはずじゃん!
子供の時に嫌だったことを、なぜ自分が大人になったら子供にやらせようと思うんだろう?」とか
「子供の時に、自分が楽しくって夢中になってた事がある、その記憶は誰しも持ってるはずなんだから、それを今の大人の自分が応用、置き換えたらいいだけじゃん」とか
自分が大人になった時に、子供達とか若い世代にその発想を応用したらいいだけ。
自分が持ってた元々の純粋な感覚、自分が一番成果を発揮する(夢中で集中したり記憶したり)って感覚を普通にこの現代社会に持ち込めばいいだけ。
「どの時代でも不変な、心の仕組み、脳の機能なんだから応用、活用すればいいだけの話じゃん!」ってすごく思うんだけど
それがなぜ上手くいかないのかっていうのは、やっぱり心理と思考と紐解いていくと見えてくる。
僕がいつも言ってるように、機能としての人間の仕組みだけでは解決できなくて
歴史とか文化とか政治とか、大人になってから少しずつ僕自身も興味を持って調べてみたら、やっぱり原因は根深くて
(いろんな説がありますし、いろんな角度からの表現もありますけど)
その中でも、「楽しんだらいけない」という清貧から派生した考え、「清く貧しく、みんなが頑張ってるんだから私達も苦しいのをあえて文句も言わずに淡々とこなし、苦しい中で皆で支え合って生きていこう」というのが美しいとされた時代背景もある。
そういう、現代とはまた違う状況下で、「でも、その時はそれが正しかった」という事はたくさんある。
だから、誰も責める必要はないし、そういう考え方とかも色々と吸収して、大人になっていくわけじゃないですか。
その中で、「なるほどなるほど、楽しいんだらいけない、笑顔を見せてはいけない、歯を見せてはいけない、なんて普通に言われるようなしつけが正しいとされてた時代も本当にあったんだな」と
そういう時代はそれが正しかった、だからOKと言うか、「当時はそういうものだったんだ」で受け入れればいいじゃないですか。
で、今はどうなんだ?と。
今は全然違うはずだよね、誰だって好きな事にチャレンジしていいし、それこそ世界へ海外へ飛び立っていったっていいはずだし
新しいテクノロジーを研究して、新しい世界を、文明、文化を切り開いたっていいような時代に「楽しんだらいけない」とか「楽しちゃいけない」っていう発想自体が
もはや、なんか宗教っぽくて、怖くないですか?って僕は思うようになって。
「そういう(楽しんだらダメ的な)ことが正しい」と国民全員が、世界的にそう信じられてた時代があってもいいけど
今はどうなの?って言った時に、「それってちょっと偏りすぎてるよね」という視点もあっていいと思うんですよ。
じゃあ、なぜ未だにそういう古い考え方が根強いのかって言ったら、過去自分がそれで苦しんできたっていうのを正当化もしくは承認してもらいたいがために、苦しんだ人が苦しみを次世代に受け継ぐっていう
負の遺産というか、負の連鎖っていうのも確かにあるな、と。
それも心理的に学んで検証していったら「ああ、なるほど!そういう事もあるんだな」と。
だから、いつもお伝えしてますが、誰も、何も、悪くない。
仕方がない。
そういう背景があって、そういう環境で育って、そういう思考パターンが刷り込まれて、もう自分がどうこうできるレベルでなく無意識レベルに入り込んじゃってる人は、もう自動的にそういう発想になって、そういう景色が見えてしまうんだから
その人も、過去すらも、責めるは必要なく
気づいた人から、自分の楽しいを追っかけて、自分の人間としての機能、脳の機能を最大効率で発揮すれば、夢が叶うよね
っていうのを、僕は誰も傷つけない方向で、みんな幸せになれるよねっていうメッセージを次世代に伝えていきたいなと思っております。
ぬいぐるみパパでした。
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人間関係の悩みは脳内で優先するのを辞めると簡単に解決する
ぬいぐるみパパのツイート解説、本日はこちら
子供がたった数人の人間関係で深刻に悩んだりしますが大人も実際は全く同じ事してます
あなたが苦しんでまで優先しなきゃと思い込んでる相手は長い人生で見たら大した存在ではない事が多い
他人に心を支配されても人生の責任は取ってもらえません
せめて脳内で優先と思い込むのを辞めてみてはいかが?
ということで、これなんですよねー子供たちが悩むポイントって。
僕も元々は先生をやってたので何度も見かけましたが、やっぱり本当に数人の「学校や自分の身近な環境でお友達に嫌われた」「あのコが僕のこと、私のことを悪く言ってる」とかに敏感になるコは多くて
学校のクラスや塾や近所の、本当にほんの数人の人間関係の中でむちゃくちゃ悩んだりするじゃないですか。
それも当然のことで、本人にとっての世界、見えてる景色は、限られたコミュニティや小さな社会の中で完結してるので
そこで村八分、じゃないですけど嫌われたらもう居場所がなくなる
人生の大半の時間、世界が奪われる、みたいな感覚に陥る。
これは被害妄想でも過大妄想でも何でもなく、当然そういう世界観でモノを見るのは当たり前で
大人から見たら「なにそんなクラスのちっちゃい事ことでクヨクヨしてんの?」って思うこともあるかもしれないですが、大人もやっぱり全く同じ事をやってるんですよね。
職場で上司に〜、とかお客様と〜、営業先の〜、取引先の人と〜、とか
家に帰ってきたら親とどうのこうの、家族と〜、義理の家族と〜、親戚と〜、近所付き合いが〜、など色々あるかもしれないですよね。
人間関係って、コミュニティに属していれば必ず何かしらの問題があったり、向き合わなきゃいけない課題があったり、当然だと思うんです。
これは、どこへ行ってもそうで、人間は誰も一人では生きていけないから、折り合いをつけたり、コミュニケーションをとっていきながら、なるべくスムーズにっていうのは必要なことだと思うんです。
現実逃避して、誰とも関わらないってやればやるほど、一見楽に見えるかもしれないですけど、どんどんどんどん自分が虚しくなっていくし
人生が不器用になって、余計に生きづらくなってしまうから。
で、僕がいつも言うのは、現実が世知辛く見える人もいれば穏やかに見える人もいて、それは心の中の感情が脳にフィルターをかけて、解釈というプロセスを挟んで世界を見ているので、いろんな風に見えてしまう
根っこがあなたの心の中にあるんですよ、ってお話をいつもさせて頂いてますけど。
ここでのポイントは、まず大前提として「人生の選択権は全て自分自身にある」ということ。
実際には、いろんな細かい問題が複雑に絡み合ってるのも事実で
本当に完全にクリアする、完全に根本の課題をクリアするためには、いつも言ってるように自分の心と向き合って、その感情の部分とじっくり自己対話しながら、根っこの部分を掘り下げていく
ちっちゃい頃の思い出が原因で、幼少期の抑圧した感情が原因で、そういう風に感情が脳に影響を与えて思考パターンがいつもの通りになってしまってる、という話もよくしますけど。
なので、根っこの方に戻って、感情をしっかり味わうっていうのが本質的ではあるんですが、まずそのきっかけとなる一つの発想として、僕がやっぱり伝えたいのが
あなたの頭の中、心の中、自分の内側っていうのは、いつも自分次第で全て選択肢は自分にあって、その内側の宇宙、内側の世界は全部あなたのもので、あなたの自由にできるんですよっていうこと
これを強烈に意識することが大事だと思うんです。
頭の中の出来事(ようは思考ですね)と心の中の感じ方(心理の部分)、これは常に自分に選択権がある。
いつも心を支配されてたり、他人の一挙手一投足を見て一喜一憂したり、感情がぐわんぐわんに不安定だったり、相手によって興奮したり緊張したりというのは、外に影響を受けてしまってるから。
誰かがどんな反応をしようと、感じ方や捉え方は自分で選択できる。
だから、まず自分にコントロール権があること、そのコントロール権を取り戻せることを知って、脳内をまず解除するんですよ。
思考をフリーにする、思考を解き放つ
そのための発想法もいろんなパターンがありますが、例えば「何故この人の言うことが全てだと思い込んだんだろう?」と改めて再検証してみる。
よく例えに出しますけど、
「私は別に、ここにいなくてもいいはず。
だって世界中を見渡してみたら、自分の国が居心地悪いと言って海外に移住する人だっている訳だし。
はるか昔から、いろんな国に逃亡する人もいるし、新しい未開の地に旅立っていく冒険者もいるぐらいだから
自分が生活する土地、自分が生きていく場所も自分で選べるはずだし、そこで新しく出会った人と新しい人生を歩んでもいい。
(これ、あえて大袈裟に言ってますけど)
それぐらい、人類は本来みんな自由なはずなのに、なぜ私はここに住んでいることが『必ずそうしなきゃいけない事』と思い込んでいて、この社会、このコミュニティに属するのが必ずルールで、私はその意思を破れないと思い込んでいるのか?」
という、大きな世界観、視野、ビジョンで見てみて、だんだんだんだん現在に戻ってくる、この繰り返し。
まず宇宙を意識する、世界を意識する、海外を意識する、という風に大袈裟なぐらい脳を解き放つんですよ。
広く見て、戻ってきて、「地球上のどこへでも移動できるぐらい自由な私が、さてここで何を悩んでるんだ?」みたいな
よく夜空の星とか宇宙を見上げたり、広い大自然を見て「何ちっぽけなことに悩んでたんだろう」と感じる人がいるじゃないですか。
その感覚を常に意識する。
「私は何でもできるはず。無限の可能性がある。どこへでも行っていいはずの私が、さてここで今、何故こんなことで悩んでるのだろう?何故この人が私の人間関係の全てを牛耳ってると思い込んでたんだろう?」 っていうね。
せめて脳内だけは自由でいていいはず。
だから、相手に歯向かうとか、誰かと争うじゃなくて、まず脳を解放してあげる。
そうすると、自分にとって最重要なのは何か?選ばなきゃいけない選択肢、本当に考えなきゃいけない事は何か?っていうのが、ガラッと風景ごと変わってくる。
このポイント、これは実際にやってみないとなかなかわかんないかもしれないですけど、そういう風に僕はこれまで攻略してきたので、ちょっと参考に
まず、意識を遠くに飛ばしてみる、思考を解放してみる、という練習をやってみてはいかがでしょうか。
ということで、ぬいぐるみパパでした。
※こちらの記事は全て音声メッセージの書き起こしです
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思考パターンを上書き、「~しなきゃ」が「~したい」に変わると成功できる
ぬいぐるみパパのツイート解説、本日はこちら
「〜しなきゃ」という発想は夢実現には一番邪魔です
外側から急かされるような感覚がすでに自分のやりたい事を見失ってる証拠
焦らずのんびり好きな事を自分のペースで進めてるうちに、自然と「〜したい」という想いが浮かび上がってくる
それを夢中で追いかけると、気がついたら夢実現してますよ
ということなんですけど、これはすごく僕自身が心がけてた事で。
まだ若い頃、十代かニ十代ぐらいかな?こういう夢実現とか成功を意識し始めて
その頃にやっぱり色んなビジネス書を読んだり、経営者の先輩方から色々教わってた中で、ここが僕にとって一番のネック、というかポイントだなってすごく感じて、自分でも意識してたので。
というのは、(いつも色んな所でお話するんですけど)もう小さい頃から周りの大人を常に気にする子供だったんですね。
で、優等生でいなきゃ、いい子でいなきゃ、素直に言うことを聞かなきゃ、っていう「良い子を演じる」癖がついちゃってて
「自分は何をしたいのか」という自分主体の気持ちというのはもう完全に麻痺しちゃってる状態。
指示に従うというか、命令に従うっていう気持ちのみで(元々の性格もあるんでしょうけど)
それが結局は脳の中で反復され、ずーっと繰り返し繰り返しって自分の中で習慣化されちゃって、平常時の思考パターンになっちゃってたので
(「したい」じゃなくて)全部が「しなきゃ」
自分がやりたくて始めたものも、無意識のうちに全部「しなきゃ、しなきゃ、しなきゃ」の考え方になっちゃう。
で、それに従うことが正しいと思い込んでたという、呪縛というか自己洗脳(というとちょっと過激な表現ですが)
それがあったので、やっぱりいろいろ勉強するうちに「これではまずいな」と自覚が出てきて。
勉強っていっても、学校のお勉強というより、自己成長する為のメンタルトレーニングとかコーチングとか実践的なものですね。
いろんなことを勉強してきましたけど、そうやって夢実現、自己実現に対して真剣に取り組むようになり
本当に自分のなりたい自分、自分が人生で楽しく幸せに、自分なりの「こういう風に生きていたい」というビションが明確になってきて
それを目指すようになった時に、「ここ(しなきゃの思考パターン)を一番に軌道修正しないといけないな」って痛感したんですね。
でも、本当に初めの頃はどうしていいか分からなくて、手探り状態だったので、まず口癖を直すようにしました。
いっつも「しなきゃ」っていうのが本当に無意識に出ちゃうので、当時は婚約してたのかな?今のママさん(奥さんですね)、当時の彼女に
『しなきゃっていう言葉、もしくはそんな素振りが見えた時に、ちょっとサイン出して!』とお願いしたり
周りの人や家族、友達に協力を呼びかけて、自分でも強烈に意識して。
こういうのが僕のいつものパターンで、本当に泥臭いことなんですよ、自分の習慣化してしまった思考を書き換えるのって。
いつも「絶対に仕組みは簡単なので、上書きできますよ」って皆さんにお話ししてるんですけど
まぁその通りで、仕組みは簡単だけど、実際にやる事ってのは本当に泥臭くて。
目に付くところにメモで書いたりとか、色んな所に常に意識できるように、忘れたらまたそこに戻れるように、メモ紙をペタペタ貼ったりとかよくやりました。
常に常に自分で意識してて、「しなきゃ」思考を徹底的に修正した。
(って意識してるのも、しなきゃっていう発想だったのかもしれないですけどw)
「しなきゃ」って出てきた時に、「いやいや、『したい』でしょ」と。
まず、気持ちが追いつかなくても、言葉を修正しよう。
思考パターンを修正して、上書き上書きしていこう、と手探り状態でやってたのを今でもすごく覚えてますね。
で、「しなきゃ」がフッと出そうになった時に「違う違う、したい!しなきゃじゃなくて、したいんだ!僕はしたいんだ!」と自問自答したり、自分に繰り返し言い聞かせてたんですよ。
そうすると、面白いことにある時から小さな変化が起こり出して
もう毎日毎日それを繰り返してると、「あれ?本当はどっちなんだろう?」って
ポカーンってなる瞬間が来て。
「しなきゃ」を「したい」に変えるって、表面上の顕在意識を上書きしよう上書きしようとしてたら、なんだか納得いかない本心(潜在意識)が反応したんですね。
誰にでも、自分の中に顕在意識と潜在意識で異なる部分が必ずあるんですよ。
そこの部分が混乱というか、ポカーンとクエスチョンマークが浮かんで、「本音はどっちなんだろう?」と考えるモードに入るっていう感覚もありましたね。
そうすることによって、本当の意味で潜在意識ごと書き換えるプロセスに繋がっていくと。
ま、どっちが先とか後とかっていうのは人によって違うかもしれないですけど
ようは「『しなきゃ』という習慣は修正しなきゃいけない」っていう、問題意識を持つことが全てのスタート地点。
そして「したい」に変換する、これは口癖を変えるでも、思考パターンを上書きするって発想でも、どっちでもいいんですけど、それも大事なことだと思います。
でも、本当に大切なのはそこじゃなくて、その発想自体、その想い自体が「本音か本音じゃないか」の部分
もっと内側の、自分の本心の部分
いつも言ってるように、本心の部分と向き合って、「本当はどっちなの?」という、ちょっと穏やかに自分と対話する時間を持つようになったんですね。
「本当にやりたいんだったらやればいいけど、やりたくないんだったらやらなくていいはずだよね、キミの人生なんだから」と自分に問いかける
本当はどっちなの?本当は何がしたいの?って自分との対話を繰り返していくうちに、焦りで「しなきゃ」って思い込んでたんだなーという風に自分を認識というか再確認する、その繰り返しですね。
だから、上書きすることも不可能ではないんだけど、それと同時に内面に降りていって、自己対話を続ける。
本当はどっちなんだろ?
本当にしたいことは何なんだろ?
もっと焦らず、ちょっと肩の力を抜いて、落ち着いて見てみよう
本当にキミのやりたい事、本当にキミがこの人生で成し遂げたいことって何だろう?
みたいなのを、時間をかけて、ちょっと浮き足立ってたのを「ふーーーぅ」と呼吸を下の方に降ろして、意識を下の方に降ろして、地に足つけて考える
という時間が、結果的にすごく大事だったなぁと。
それをニ十代の頃、ずーっと続けてたなぁという思い出がありますというのを紹介してみました。
ぬいぐるみパパでした。
※こちらの記事は全て音声メッセージの書き起こしです
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