努力根性苦労を強制する流れを断ち切り楽しいを次世代に引き継ごう
ぬいぐるみパパのツイート解説、本日はこちら
楽しいなんて追うなというのは戦後貧しかった時代に国を再生する為に広めた考えであって、今や何の根拠もない筈なのに未だに多くの人が楽しんだらいけないと思い込んでいます
それほど思い込みとは強力で、苦しんだ人ほど次の世代に押しつけます
気づきましょう、もはや苦しむ理由は全くありません
ということで、僕は元々が教育業界からキャリアを積み始めたので、学習や成長の仕組みについて調べてた時期が長くて
最も学習意欲が継続する、モチベーションが高まったまま持続できて学習効果を発揮する、脳の記憶する効率がいいのは、やっぱり「生徒さん本人が楽しんでる状態」というのがすごく納得いってて
そのためにはどうしたらいいんだろう?→授業を楽しくしたらいい、レッスンを楽しくしたらいい→先生と生徒が信頼関係で結ばれたらいい、というのがどんどんどんどん腑に落ちていったという経緯があって
やっぱり楽しいのが一番だな、と。
しかも、無理やり宿題を出すとか、テストでいい点数を取るように競争を仕掛けるとか、そういう仕組みを作るよりも、本人が「ここが楽しい!」って思えるようなアプローチをした方が効率的。
誘導するって訳じゃないですけど、学校教育だったら例えば、理科でみんなわちゃわちゃ実験をしながら「楽しいねー」って盛り上がり、モチベーションがそっちに向かっていくとか
授業がゲーム感覚で「面白いねー」って自然とそっちに興味が行くとか
もっとプライベートの塾とかだったら、その個人が本当にも元々やりたい!好きだ!って思ってるものを見出していくとか
本人の夢を具体的にイメージして思い浮かぶようなところまで導いてあげて、「じゃあ、そのために進学するなら今はここにフォーカスしような」とか
そういうコミュニケーションを積み上げていって、本人が本当にやりたい!本当に楽しい!って感じる方向性に連れていく。
「連れていく」って表現はちょっと上から目線ですけど(僕は若い世代こそリスペクトするという考え方なので)
そっちに本人の意思で向かえるように、最大効率で、最大の学習効果が生まれるようにお手伝いをする
というのが僕の昔から持ってる教育論だったり、もっと言うと一番簡単なやり方、一番手っ取り早くて理に適ってるパターンだなと思っているんです。
思ってはいるんだけど、いるからこそ僕はそうやり続けてきたんだけど…
そういう自分が追求してきた、自分の持っている「これ、どう考えても一番楽だし、一番楽しいし、みんなが笑顔なんだけどなー」という想いへの確信が強くなればなるほど
「じゃあ、なんで世の中は、こんな簡単なことに気づかないんだろう?」とすごく不思議に思うことがだんだんだんだん大きくなっていって。
「だって、大人達も昔は子供だったはずじゃん!
子供の時に嫌だったことを、なぜ自分が大人になったら子供にやらせようと思うんだろう?」とか
「子供の時に、自分が楽しくって夢中になってた事がある、その記憶は誰しも持ってるはずなんだから、それを今の大人の自分が応用、置き換えたらいいだけじゃん」とか
自分が大人になった時に、子供達とか若い世代にその発想を応用したらいいだけ。
自分が持ってた元々の純粋な感覚、自分が一番成果を発揮する(夢中で集中したり記憶したり)って感覚を普通にこの現代社会に持ち込めばいいだけ。
「どの時代でも不変な、心の仕組み、脳の機能なんだから応用、活用すればいいだけの話じゃん!」ってすごく思うんだけど
それがなぜ上手くいかないのかっていうのは、やっぱり心理と思考と紐解いていくと見えてくる。
僕がいつも言ってるように、機能としての人間の仕組みだけでは解決できなくて
歴史とか文化とか政治とか、大人になってから少しずつ僕自身も興味を持って調べてみたら、やっぱり原因は根深くて
(いろんな説がありますし、いろんな角度からの表現もありますけど)
その中でも、「楽しんだらいけない」という清貧から派生した考え、「清く貧しく、みんなが頑張ってるんだから私達も苦しいのをあえて文句も言わずに淡々とこなし、苦しい中で皆で支え合って生きていこう」というのが美しいとされた時代背景もある。
そういう、現代とはまた違う状況下で、「でも、その時はそれが正しかった」という事はたくさんある。
だから、誰も責める必要はないし、そういう考え方とかも色々と吸収して、大人になっていくわけじゃないですか。
その中で、「なるほどなるほど、楽しいんだらいけない、笑顔を見せてはいけない、歯を見せてはいけない、なんて普通に言われるようなしつけが正しいとされてた時代も本当にあったんだな」と
そういう時代はそれが正しかった、だからOKと言うか、「当時はそういうものだったんだ」で受け入れればいいじゃないですか。
で、今はどうなんだ?と。
今は全然違うはずだよね、誰だって好きな事にチャレンジしていいし、それこそ世界へ海外へ飛び立っていったっていいはずだし
新しいテクノロジーを研究して、新しい世界を、文明、文化を切り開いたっていいような時代に「楽しんだらいけない」とか「楽しちゃいけない」っていう発想自体が
もはや、なんか宗教っぽくて、怖くないですか?って僕は思うようになって。
「そういう(楽しんだらダメ的な)ことが正しい」と国民全員が、世界的にそう信じられてた時代があってもいいけど
今はどうなの?って言った時に、「それってちょっと偏りすぎてるよね」という視点もあっていいと思うんですよ。
じゃあ、なぜ未だにそういう古い考え方が根強いのかって言ったら、過去自分がそれで苦しんできたっていうのを正当化もしくは承認してもらいたいがために、苦しんだ人が苦しみを次世代に受け継ぐっていう
負の遺産というか、負の連鎖っていうのも確かにあるな、と。
それも心理的に学んで検証していったら「ああ、なるほど!そういう事もあるんだな」と。
だから、いつもお伝えしてますが、誰も、何も、悪くない。
仕方がない。
そういう背景があって、そういう環境で育って、そういう思考パターンが刷り込まれて、もう自分がどうこうできるレベルでなく無意識レベルに入り込んじゃってる人は、もう自動的にそういう発想になって、そういう景色が見えてしまうんだから
その人も、過去すらも、責めるは必要なく
気づいた人から、自分の楽しいを追っかけて、自分の人間としての機能、脳の機能を最大効率で発揮すれば、夢が叶うよね
っていうのを、僕は誰も傷つけない方向で、みんな幸せになれるよねっていうメッセージを次世代に伝えていきたいなと思っております。
ぬいぐるみパパでした。
※こちらの記事は全て音声メッセージの書き起こしです
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