自分らしい感じ方、表し方を取り戻すためにありのままを観察しよう
ぬいぐるみパパのツイート解説、本日はこちら
周りの人が不安定な時に自分も不安定になるのは感受性が正常な証拠です
それ自体は全く問題ありません
気をつけるべきは感情に飲み込まれないこと
いちいち感情に振り回されるのはオドオドしてるからです
堂々と「私いま不安定だなぁ」と眺めてれば大丈夫
ありのままを受け入れたら楽になりますよ
ということですが、これはもういつもお話してるように、人間の心や感情は浮き沈みがあって当然。
心が不安定になることがあって当然。
逆に、どんな事にも反応せず、周りの人々にも影響を受けず、一切浮き沈みも不安定もなく感情が出てこない方が、心の機能不全と言うか、問題があるんじゃないか?って心配になるくらいのことなんですよ。
だって、人の心は本来そういう風にできてるんだから、当たり前じゃん。
何もそれをいちいち大袈裟に捉えず、「私、今日は不安定だなぁ」とか「あ、来た来た。これはすっごく凹むパターンだ」「これちょっと長引くやつだ」って、眺めてればいいんですよ。
とは言いつつも、それができたら世話ないよってくらい、実際には難しいんですよね。
何故かと言うと、「こうあるべき」が強いから。
世間から言われる、周りから強制される「こうあるべき」っていうのを、小さい頃からすごく刷り込まれてて
みんなと一緒にいる時は、同じように行動しましょう、同じような感じ方をしましょう、としつけられる。
頭の中だけでなく、心の中まで他人にコントロールされるようになってしまうんですよ。
学校教育でも家庭でも、そうじゃないですか。
ここでは大人しくしてなさい、きちんと背筋を伸ばしなさい
人間の姿勢や発言、行動、あらゆるアウトプットを「こうあるべき」と決めつけちゃう。
こうあるべき、それが唯一の正解です、と。
何もそこまで深いことは考えずに、規律やルールだからと皆やってるのかもしれないけど
それって、心や感情まで確実に影響を受けるんですよ。
だって、当然のことですけど、感情って体内で発生するものだから「何だか気分が悪いなぁ」みたいな漠然とした感覚が何の理由もなく出てくることもある。
普通に、何をしてても、モヤモヤとかザワザワが出てきたりする時もある。
そんな時に、やっぱり体の中の出来事だから、姿勢を崩したり、横になりたくなるケースもあるんですよ。
感情の動きによって、姿勢が変わったり、発言が変わったり、「今ちょっと叫びたい気分」ってなることもありますよね、誰だって。
でも、それは「やっちゃいけないこと」っていうルールで教育されてるじゃないですか、子供の頃から。
そうすると、感情をそのまま素直に受け入れて、味わい尽くすことが難しくなる。
感情って、そのまま感じ尽くす、味わい尽くすと、簡単にすーっとクリアしていくんです。
でも、それをやらせてもらえない環境を強いられる。
素直にそのまま受け入れてあげられない、逆にそんな感情は発生しちゃいけない、存在すべきではないって感情自体を否定してしまうから、抑圧されて、鬱積してしまうって現状があるんです。
感情を味わうどころか、普通に体感する事すら許されないんですよ、小さい頃から。
「ここでしっかり集中して、先生の話を聞きなさい」と強制されるけど、集中できないくらい不安になることや、ぼーっとなることも、普通にあるじゃないですか。
集中力なんて個人差もあるし、本来そんなに長く続く訳じゃないんだから、数分で切れちゃって当然なのに
にも関わらず、「こっちに意識を向けなさい」「こういう姿勢を保ちなさい」と、全て強制される。
見た目だけじゃなく、内側の感情や心理まで強制されて、自由に感じることができなくなってしまう。
すごく奥深いところにまで影響を与えてしまってるんですね。
それが当たり前として刷り込まれていくから、自分らしく感じることが許されない、自分らしく考えることが許されない、となってしまう。
全てにおいて、内側まで制御されてしまって、コントロールされてしまって、自分主導では何もできない
自分発信で感情を表せられない、発言ができない、何を考えていいのかも分からない
結果、何でもかんでも全部言いなりになってしまうという、量産型のロボット工場のような状況が今までの古い教育システムだったんですね。
それって、本来の人間のあるべき姿とは、かけ離れてるんですよ。
自然界では、何か叫びたくなったら叫べますよね。
だって、それは全然悪いことじゃないもの。
そんな気分なんだもん、感情が湧いてくるんだもん。
だけど、社会生活では、それは許されない。
それらを小さい頃から全て管理されることによって、「本来の自分ってどういう風に感じてたんだっけ?」と、自分の感じ方すら見失ってしまう。
よく、自分が何を望んでるのか分からない、自分の好きが見つからない、ってお悩み相談でありますよね。
自分の本音が分かりません
私はやりたい事が見つかりません
夢もないし、何していいのか分からない、ただただ漠然と未来に不安があるんです
だけど何したいか分からない、っていう、その「したい」って自分の気持ちがそもそも分からないという方、ものすごく多いんですよね、現代社会では。
それって、いちいち全部を制御されちゃってきたから、その習慣、癖が残っちゃってる証拠なんです。
自分から発信することが許されない、自分をありのまま眺めることが許されない、っていう悲しい環境、今までの流れがあって、そういう頭と心と体になってしまってる。
ただ、それを責めたり後悔してても何も変わらなくって、だったらもう一度、考え方や感じ方を一旦リセットして、カスタマイズし直しましょう、と僕はお伝えしてるんですね。
自分の感じ方、考え方を全部自分で再定義し直していく。
今まではそういう時代や環境だったから、仕方ないよね。
だけど、これまで私が感じてきたものは、全部が自然な姿なので
不安定になってもいい、感情的になってもいい
どんな感じ方をしてもいい、どんな風に気持ちが動いてもいいんです。
ただ、大人の社会や、みんなと共同生活をしてる時には、注意する点がいくつかある、という知識を学べばいいんです。
強制や否定はいらないはずなんです。
電車の中でいきなり叫んだら、周りから変な風に見られる、そりゃ当然でしょう。
だけど、その「感情が湧き上がってくる」こと自体は、全然いいんですよ。
伝わりますかね?
内側で何か起きている、それ自体をみんなダメなことにしちゃうんだけど、そうじゃないの。
気持ちが落ち込む、テンションが下がる、マイナス思考になってしまう、それは全然いいんですよ。
本来の自然な心の動きなんだから
っていう、まずは許すところ。
許すっていうほど大袈裟なことじゃなくて、当たり前のこと
っていうのを、定義し直す、観察し直すところから始めると、すごく楽になると思います。
いちいちオドオドしないで、「あぁ、私は今こんな風に弱気になってるなぁ…落ち込んでるなぁ…凹んでるなぁ」って観察をするとこから始める。
「観察する」という行為には、否定、裁き、ジャッジメントの意味合いが含まれないので。
ただ観察する、眺める、っていう姿勢は、ものすごく大切なんですよ、内観や自己承認のプロセスに。
メンタルトレーニング的にもすごく大事なので、観察する癖をつける。
ありのままの自分を観察する。
「あ、オドオドし始めたなぁ」と観察する。
それもいいんですよ、オドオドが駄目なんじゃなくて、感情に振り回されるのが一番厄介なだけなので。
観察する練習をしていき、「あぁ、自分の気持ちが出てきたなぁ」って正直な部分を受け入れる練習を始めてみたらいかがでしょうか。
ということで、ぬいぐるみパパでした。
※こちらの記事は全て音声メッセージの書き起こしです
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