ありのままの自分を丸ごと認めて螺旋状に人生を好転させていく
ぬいぐるみパパのツイート解説、本日はこちら
他人の評価が気になって仕方ない人は「その延長上に笑顔の自分がいるか」想像してみると、より良い判断ができるようになります
大抵は思考パターンが癖になってるだけなので、自分で矛盾や勘違いに気づけたら意外と簡単に自己洗脳は解けます
未来の自分が笑える選択肢を意識すれば簡単に幸せになれます
というお話ですけれど、これもいつもお伝えしてる内容の繰り返しにはなりますが、本当に大切なことで
僕自身も未だに何年かに一度って感覚で、大きな自己矛盾に気づき、自分でも驚くことがあるんですね。
「まーだこんなこと勘違いしてたんだ!?未だにこんなことで自分を洗脳してたんだ!?
過去に自分に思い込ませた、刷り込んだ偏った価値観や思考パターンというのが、こんなに根強く残ってたんだなぁ…」と再三気づくことがあったりするので、これはもう本当に、延々とその繰り返しだと思うんですよね。
他人の評価が気になって仕方ない、そんなの気にしなくていいはずなのに、頭では十分理解してるはずなのに、分かっていてもこの思考パターンは今まで刷り込まれてきた習慣なので
無意識の行動として、無意識の反応として、自分が本当に望んでいる方じゃなくって「他人に良いと思われる方、他人にかっこいい、素敵、素晴らしいって言われるような方」へ、いつの間にか意識が向いてしまってる、とか
普段の生活の中で全然気づかなかったけど、ふとした時に「あれ?なんでこんなことやってるんだろう…」と思ったら、ただ人に良いと思われたかっただけ、ただ見栄を張りたかっただけ
なんてことが、本当にたくさんあるんですよね。
僕自身にもまだまだあります。
これに気づけるようになるには、やっぱり普段から自分を客観視できるような状態であることが大切で
ようは、いつもお伝えしているの「心と向き合って、自己対話しながら、自分の善い所も悪い所も全部丸ごと受け入れ、認めてあげる」
これって、一見矛盾してるように聞こえるかもしれませんが
内側に向かって自己対話を続けていくことで、自分の善い所、悪い所、強みも弱点も、長所も短所も、全部を受け入れ、認めてあげることができると、その本来の自分の姿をありのまま観察できるようになるんです。
偏りもあるだろうし、ちょっと尖った所もあるだろうし、劣ってる所ももちろんある、けどそれを丸ごと認めてあげれる習慣がついてくると、今度はその私という存在、自分という個体そのものを、外側から客観視できる。
つまり、俯瞰した状態で自分とその周辺を見れるようになるんです。
内側を向いていたつもりが、いつの間にか外側から自分という個体を眺めている、というメタ認知の練習にもなるんですね。
これはどっちから先にやるべきっていうものでもなくて、まず先に意識を外に出すって練習方法も実際あるんですけど
僕はどちらかというと、まず内面と向き合って、自分自身を受け入れて、自己対話しながら、内側へ内側へ意識を向けていった結果として、自分の意識を外に出す、メタ認知ってパターンに繋がっていったという経験もあるので、どちらでもいいと思うんですよ。
意識を内側を経由して外側に向けるか、最初から外に出していくか、どちらからでも「俯瞰して世界を見れる」ようになる。
でも、俯瞰する方法、客観視する方法といっても、人によっては勘違いしてるケースがあって
自分の本音を我慢して「今は自分の意見を通しちゃいけないんだ、自分の感情で考えちゃいけないんだ」って、ぐーっと自分を押し殺して俯瞰してる振り、客観視してる振りをする人もいるんです。
それって、自分の感情を潰しちゃってるだけだから、結局は自己対話して本音を見つけていかないと自分の幸せには繋がらない。
例え目の前の仕事がうまくいこうと、目の前のプロジェクトが成功しようと、目の前の人間関係がその場だけうまく回ろうと、自分の人生は幸せには辿り着きませんよね、というお話を僕は普段からしてるんですね。
そこの本当に一番大事な部分が矛盾しちゃってたら、意味がないので。
最も重要な「自分の人生をどう生きるか」って問いに対しての自己矛盾が一番厄介なので
やっぱり、自分を押し殺して客観視してる振りをする、俯瞰してる振りをする、っていうのは僕はお勧めしません。
それよりも、自分の個性、自分の存在を丸ごと全部受け入れた状態で、「こんなに偏ってる、個性的な存在こそが私なんです」と、一つの完成した存在として見れるようになった方が、俯瞰に繋がりやすい。
「こんな私が存在していいんだから、ということは、あんな偏った人がいてもいいよね、あんな価値観の人がいてもいいよね」っていう風に、自分を認めることで他人を認めることができる。
価値観の多様性を受け入れることができる、っていう意識の練習にもなってくるんですね。
という訳で、まずは自分の内側に意識を向けていき、自分の偏った部分も全部受け入れてあげた上で、「自分が何を求めているのか」っていう軸の部分を常に確認するようにするのがベストかなと。
でも、ほとんどの人が、それをやってるつもりではあるんだけども、気が付いたらまた昔の癖にちょっとずつ戻ってしまうので、軌道修正が大切なんです。
元々猫背だった人が一時的に姿勢を矯正しても、徐々にまた猫背に戻ってしまうのと同じで
猫背というのは骨格の問題もあるけど、その周りについた筋肉も含めてそういう姿勢を保っちゃってるので、正しい筋肉をつけ直さなきゃいけない、全体を矯正しなきゃいけないんですね。
それと一緒で、習慣化された思考パターンを変えるには、それをまず新しい思考パターンで上書きしなきゃいけない、プラスそれ以外の行動の習慣も見直さなきゃいけない。
考え方と筋肉は全く同じじゃないかもしれませんが、そういった感覚で周辺に付随する自分の生活パターンも含めて、修正や改善をしていかなきゃいけないんです。
なので、まずしっかりと自分の軸を確立する。
自分の幸せ、自分が笑っていられる毎日、理想的な未来のビジョンをしっかり持って、そこに軸をストンと定めた上で、普段の生活を送る。
その軸に常に照準を当てるっていうのもいいんだけど、それを意識することすら忘れて無意識に生活してる時にこそ、普段の日常の筋肉が鍛えられていく、みたいな感覚、伝わりますかね?
なので、軸を頼りにするというより、常に再確認する、定期的に見直すっていうパターンを習慣づけながら、普段は特に何も意識せず、ただただ心の赴くまま、生きたいように生きる、好きなことを追求するというのが理想的ですね。
定期検診のように、定期的に自分を見直す。
心と向き合うって作業は、毎日毎日続けていく。
これは以前メンターに教わった事なんですが、「人生というのはスパイラル、螺旋階段状になっている」と。
毎日が同じように見えるんだけど、実際にはちょっとずつ螺旋階段を昇っている。
似たような景色に見えるんだけど、自分はその上の層の同じ角度に訪れているからそう感じるだけで、着実に階層は上がっている、という感覚、伝わりますかね?
これ、もちろん何も改善しなかったら、もしかしたら螺旋階段を降りていってるかも知れないんですよ。
でも、自分の心と常に対話しながら、自分の本音と常に相談しながら、ありのままの自分を受け入れるってことを忘れずにやり続けていれば、螺旋階段を必ず上に昇っていける。
同じ景色を見ても、同じ過ちを犯しても、そんなに心配せず、きちんと自分は前に向かってる、上に登れてるんだな、って安心材料としてこの螺旋階段をイメージしていいと思うんですね。
僕もこれを、自分に言い聞かせる訳じゃないですけど、いつも思い浮かべながら「大丈夫、大丈夫」と安心しています。
自分を丸ごと受け入れてあげて、承認してあげて、「今年もまた以前と同じような景色を見たなぁ」と思いつつも、それでも引き続き自分と向き合い続けていきたいなと思っているので
皆さんと一緒に自分の本当の幸せを目指して、こういった話をシェアしていけたらいいなと思っております。
ぬいぐるみパパでした。
※こちらの記事は全て音声メッセージの書き起こしです
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