あらゆる出来事を感謝する向き合い方が最もコスパのいい対処法
ぬいぐるみパパのツイート解説、本日はこちら
日々の出来事すべて感謝できるようになれたらそりゃ素晴らしいですが、いきなりそんなとこ仏様じゃないんだから目指せません
まず同じ境遇の人と繋がり一人じゃないと実感する
人を認める事で自分の存在を受け入れる
周囲と支え合い心の氷を溶かす
段階を踏むと自然に感謝の気持ちが湧いてきます
という話ですが、僕も若い頃から自己啓発や成功哲学など色々と学んできたんですね。
そんな中でも、古今東西で共通する教えというのが結構ありまして、特に東洋哲学で出てくるのが「日々あらゆる出来事に感謝する」という考え。
もっと突き詰めていくと、例えば良くない出来事が起こるとします。
運が悪かったり、自分が不幸な目にあったり。
でも、長いスパンで、人生山あり谷ありの中の一つの出来事として見てみると、多くの成功者が共通して語るのが「あの時の悪い出来事、不幸な出来事、災難が実はきっかけとなって、次の成功、次の幸せに繋がっていた」
こういう話は、古今東西あちこちで言われていることなんですね。
あの時、倒産したなら
あの時、大失敗したから
あの時、不幸な目にあったから
でも、そこで諦めて挫折してしまったらもう全て終わってしまうんだけど、その時に「ここから這い上がろう!もう一度頑張ってみよう!」思えたから後の大逆転がある、と。
または、「何故そうなったのか?自分にどんな落ち度があったのか?」と反省し、自分を見直したことで、ものすごく貴重な経験、ターニングポイントになった。
というようなお話をよく聞くんですね。
そんなのをたくさん学んできて、でもそれらを綺麗なお話、いいお話だったなぁ、で終わらせてしまうともったいないよなと思っていたので
僕自身が色々と実践し、自ら「本当にそうなるのかな?」って検証しながら進んでいくタイプだったんですね、若い頃の僕は。
そういう話はあちこちで聞くけど、本当にそうなのかな?と思いながら、色々と経験を積んでいった結果、僕の結論としては
「ありとあらゆる出来事、全ての人、全ての出来事に感謝する」のが最もコスパがいい、と気づいたんですよ。
当時の僕はそんな風に、常に誰にでも感謝できるほど器が大きかった訳じゃないし、怒りがすごく強くて色んな人を攻撃しようとしたり、自分がうまくいかないのを人のせいにしたり
もしくは、自分がうまくいったら今度は他人を見下して、自分が偉くなったつもりになったり、どちらかと言うと真逆の、すごく心の狭い人間だったんですね。
そのせいでたくさんの失敗をして、色んな経験をしてきて
でも、歩みを止めず、チャレンジをし続けてきた。
何度も何度も同じ目にあって、何度も何度も失敗して、何度も何度もうまくいかなくて、それでも「少なくとも検証することは止めないようにしよう」と。
まだまだ経験も浅く、未熟だった十代から二十代の頃ですから、頭の中はほとんど自分の利益のため、保身のためと、本当に狭い視野でしか考えられなかったんだけど
何度も失敗を繰り返すうちに、「せめて脳の片隅には冷静に分析する自分をキープしておこう」と思うようになったんですね。
何度も何度も、また同じ失敗をした、また同じ目にあった、「これは何故なんだろう?」っていちいち頭の中で検証する癖をつけていったんです。
そしたら次第に、悪いことが起きた時、それに対して怒りをぶつけたり、攻撃したり、相手を責めたり否定するってパターンを選択した時は、「必ずもっとうまくいかなくなる」ということに気づいたんです。
何故かと言うと、誰かに攻撃したら、当然その相手は敵になってしまう、もしくはその人は離れていってしまう。
だけど、例えどんなに嫌なことをされても、その相手に感謝をストレートに返すってのはなかなかできないにしても、少なくともその人を否定しない
攻撃の矛先にしない、責めない、っていうパターンを選択していくうちに、段々と状況が変化していくんです。
例えば、今までのパターンだったら完全に敵になってたはずの相手を、少なくとも否定はせずに、僕からその場を立ち去るとか
少なくとも「あ、そういう考え方なんですね」と理解をしめすとか
以前だったら「なんだこの野郎!」って怒りをぶつけてた所を、「あ、そうなんですね。はいわかりました」ってその人をその場に残して、自分はさっさと先に進むとか
ようは、今までだったら攻撃してた、否定してた、反対して敵に回してた、という場面で、徹底的にそうじゃない方へそうじゃない方へ言動や態度を変化させることにトライしていったんです、まだ検証段階ですけどね。
そのうち、少しずつ心境の変化も起きてきて、その相手自体を好きにはなれないけど、少し離れた距離から見て「そういう人がいる、っていう事を知れた」って出来事には感謝してみようかな、と。
ちょっとずつちょっとずつ、自分を試していったんですね。
そうすると何が起きたかというと、「全ての出来事が自分を成長させてくれるためのプラス要素に変わっていく」っていうのを実感し始めたんですよ。
綺麗事で自分の優しさをアピールするためとか、綺麗事で人格者だと思われるためとかじゃなくて
自分の成長、自分のメリットのためには何が一番いいだろう?と考えたら、否定や怒り、攻撃や誹謗中傷なんてものは何の役にも立たなくて
でもその出来事を感謝や学びという「プラス」に転じることができれば、ものすごく役に立つ。
でも、そこで自分から「これの何がプラスになるんだろう?」って探してても、あまり意味はないんです。
そんなとこで立ち止まっててもあまり意味はないので、とりあえず次の自分のアクションとして「感謝に繋がるような行動」を選択してみる。
よくやりがちなのは、悪いことが起きた時に「きっとこれは悪いことじゃなくて良いことなんだ」って考え方を転換するパターン
そんな発想法も世間では良いとされてるんですけど、それをすると嘘になる、自分の中で猜疑心、ダウトの方が大きくなっちゃったんですね、僕の場合は。
で、「これは役に立たないな」と実感した。
だから、せめて否定しない、せめて相手のことを攻撃しない
そして、ほっとく、距離を取る
距離を取った後に、それを出来事として振り返る。
そういうパターンの人を観察できた、観測できた
そこで自分は新しい体験、新しい感覚を得ることができた
っていう出来事に感謝する。
対象を人間にするのではなく、その出来事自体を振り返り、少しずつ「あ、確かに学びがあったなぁ」と感謝するスタンスをとるようになったんです。
そしたら、自分の検証データがどんどん増えていって、メリットがどんどん見えてきた。
例えば僕が部下や後輩を指導する場面、指示を出すような立場になった時に「あ、これはあの時にあった、あのパターンだ!」という風に引き出しとして活用できる。
自分が嫌な思いをしたケース、データがたくさん蓄積されていればいるほど、それらを「こういう場合はこんな厄介な可能性があるんだ」「こうならないためにも、こうしたらいいんだよ」「僕はこの時こうしたよ」って事例として使い、相手に指導することもできる。
または、実際に同じようなパターンの人に会った時に「あ、これは何年か前にいたパターンAの人だ!」「この人はパターンBだ!」と判断できる。
「このパターンは、あの時攻撃したらやり返してきたけど、距離を置いたらそのまま消えていったから、一番の正解は距離をとることだ」などと、自分の中で最適な答えを出しやすくなる。
相手に説明するためのレパートリーが増えたり、自分の最適解が出しやすくなったり、具体的なメリットが見えてきて
「あ、こういうことか!」って初めて腑に落ちたんですよ。
聖人君子とか人格者みたいな考え方で「感謝をするのがいいですよ」っていうことじゃなくて
「感謝をすると具体的にメリットがあって、コスパがいいんだ」ってことに気づいて、だったらありとあらゆることに感謝できるようになろうって決意したんです。
でも、いきなり一足飛びに感謝するのは難しいので、冒頭でも言ってるように、少しずつ周りの人達と繋がっていき、周りの人達を感謝できるように練習していく。
嫌いな人に対していきなり感謝なんてできる訳がない、人間なんだから。
身近な人と支え合って、自分の弱いところをさらけ出して、共感していただいた人と繋がって、というのを繰り返していくうちに、感謝できる度合いが少しずつ大きく広がっていく。
それが、実は綺麗事じゃなくとてもメリットがあることだと気づいて、僕は成長できたってプロセスがあったので、今回皆さんに紹介してみました。
ぬいぐるみパパでした。
※こちらの記事は全て音声メッセージの書き起こしです
▽オーディオ解説や最新情報はこちら、Twitterのフォローよろしくお願いします!
twitter.com