自分の幸せは自分にしか判断できないので正解を追う意味はない
ぬいぐるみパパのツイート解説、本日はこちら
夢なんて自分の好きなように実現したらいいのに多くの人が良い方法ある?これは悪いやり方?と悩みます
これまで周囲から問われ続けてきたせいで無意識に思考回路が良し悪しになっちゃってるんですね
だから僕は全く別次元の「楽しい」をお勧めしてます
楽しいに正解はないので間違えようがないですよ
これ、伝わりますかね?
こういうのを二元論とか二元性って呼ぶんですけど
正しいがあると、間違いがある
正義があると、悪がある
善いがあると、悪いがある
何でもそうですよね、全ての出来事を、ほとんどの人が「マルかバツか」で見るんですよ。
それが善い悪いという訳じゃないんですが、世の中もう全部がこれになっていて
価値基準、判断基準、ほとんどの人が「これは正しい、これは間違ってる」っていう考え方
二元論で物事を考えるっていう思考パターンになっちゃってるんですよね。
まあ、そういう傾向で、そういう時代なので、それはそれでいいとして
「じゃあ、自分が幸せになるには
自分の人生を、自分の満足いくような形で送るには
心が満たされて、穏やかで
生まれてきてよかったなぁ
こんな人生を歩めて、幸せだなぁ
って、毎日実感できるような暮らしをするには
そんな『生き方について』には、どこに正解があって、どこに不正解や間違いがあるの?」
と考えたら、そんなのある訳ないですよね、人それぞれなんだから。
なんだか人生哲学みたいな話になっちゃいますけど、これを僕は若い頃からずーっと追っかけてたんですね。
これって、正しいも正しくないも、ないんですよ。
二元論が成立しない、二元論を持ち込めない領域なんです。
だって、あなたの人生、あなたの世界観、価値観で見える「あなたから見た世界」って、誰も他に見えないから。
この感覚、伝わるかな〜?
僕はちっちゃい頃からよく想像してたんですけどね。
フィクションとかファンタジーの世界、物語や漫画でたまにあったりしますが
「ある日突然、人格が入れ替わる」みたいな物語があるとするじゃないですか?
人格が入れ替わった時に、見える世界が変わるっていう現象が本当に起こりうるなら…
意識体というか、中身の魂だけが入れ替わった時に、例えば(そんな、立場が逆転とか心理描写が変わるなんてレベルじゃなく)本当に全く異なって見えるって事は、絶対あるだろうな、と
個体がエネルギー体に見えたり、黒が赤に見えたり、くらいとんでもなく全然違うレベルでね。
僕、小さい頃から思考実験とか好きで、よくこんな遊びやってたんですよ(笑)
現に、これはちょっと極端な例だけど、動物や昆虫の見てる世界、視野って、人間と全然違うんですよね。
例えば、ミツバチなんて、自分が蜜を取りに行きたいから、綺麗な花、蜜があるような花(黄色だったかな?うろ覚えですが)
黄色とか赤とか、綺麗な花の色が見える視界しかなくて、それ以外の色は色として認識できない、みたいな話を初めて聞いた時に「何それ面白ーい」と感動したんですよ。
他にも、例えば鳥だったら、自分の獲物を探す時、すごく高いところから地上の動く小動物が見えるように、ピンポイントでズームインした視野を持っていて、逆にそれ以外がぼやーっとした特殊な目を持っていたり
昆虫だったら複眼で、色んな所にアンテナを張り巡らせるように視野が周囲も見れるようになってたり
それぞれの生物、個体によって、見える景色、世界がどうやら全然違うらしい。
そこに、本当に(子供らしい想像ですが)魂が入れ替わって、動物や鳥や昆虫になったとしたら…
見える景色が実は全然違っていて、僕が青だと思ってたものは青じゃないかもしれない
空や海も、赤や黒かもしれない、とか
そんな想像をするのが、すごく楽しかったんですよ。
「うわー!おもしろーい!僕から見えてる当たり前って、全然当たり前じゃないんだ!」と。
ってことは、これって人間同士でも絶対あるよな、と思って。
例えば、世の中を観察してると、全然普通の景色に僕は見えるのに、ある人にとってはイライライライラする、とかね。
ただ、お店のレジがたまたまお昼時で混んでるだけで、「まあ当たり前だよな」と思ってる僕の隣で、「まだかよ!おいまだかよ!」ってイライラしてる人にとっては、地獄のような映像に見えてんのかもしれないなーって
例えば入れ替わった時に、僕は何とも思わないけど、人にとってはそこが地獄絵図に見えてる。
そういう景色、心理描写というか、見える世界観って、きっと人によって全然違うんだよなーって考えた時に、人間って興味深いなぁと感じるようになったんですよね。
つまり、何が言いたいかというと、人それぞれ見えてる世界が別々な上で、更に「その本人にとっての幸せ」という(これまた異なる価値観、感覚で)答えを求めて生きてるんだから
あなたが幸せだと思う、あなたの人生の「生き方」の正解なんて、他の人は絶対に分からない。
だって、誰もあなたという個体に生まれたことがないんだから
生まれてから死ぬまで、あなたという個体を通して世界を見れるのは、あなたしかいなくて
他人が、「その命をどう使うのが正解かどうか」なんて、わかる訳がないんですね。
自分にしか、わからない。
「だったら、僕は僕が楽しい生き方を選びたいぞ」
「じゃあ、僕にとっての楽しいって何なんだ?」と考えた時に、僕の結論として出たのが
自分の心が穏やかで、自分らしく、何も無理しない状態
他の誰かに合わせようとか、無理して背伸びして、誰かの真似をしようとか一切思わない、自分らしい、素の状態
肩肘張ってない、力を完全に抜いた、常に24時間リラックスした状態
それでいて、たまたま何かやりたいことができたら、そこにはガッと集中してやる
で、興味がなくなったらやめる
つまり、本当にちっちゃい子と同じ精神状態で生きるということ(笑)
僕はもともと幼児教育が専門だったので、ちっちゃい子と関わってる時に「あぁ、これこそが人間らしい生き方だなぁ」と、すごく教わったことがあって。
お金を稼ぐのが正しいとか、世の中に貢献すれば正しいとか、全部そういった「大人の常識」は一旦脇において
自分の幸せ、自分が生きていく理由、「この個体を通して感じる、僕の生き方の正解って何だろう?」って考えたら、自分の心に聞くしかないよなって結論に達して
僕はそこで納得して、それを自分の人生に採用し、自分らしい自由と幸せを追求してきて、実現できた。
それを人に伝える時に、やっぱり「自分のワクワク感、楽しいって感覚を追いかけるといいですよ」っていう表現をするようになったんですよね。
だって、「何が正しいんですか?どういう方法がいいんですか?」って聞かれたって
「そんなの、人によって違うもん!」ってなるじゃないですか。
「モチベーションが常に高い方がいいんですか?」
いや、それは人によって違いますよ。
「コミュニケーションスキルが高い方がいいんですか?」
いや別に、対人関係を良くしたり、人と関わるのが好きな人は、そりゃ高い方がいいけど…
そもそも対人関係が苦手で、人と会うのが怖い人が、コミュニケーションスキル伸ばしたって、しんどいだけじゃん。
人と会うのが苦手なのに、人と関わるテクニックを磨いた上に、そのスキルアップした状態で人と喋れるようになった所で、その喋ってる時間が苦痛なんだったらさ…
あなた全然幸せじゃないじゃん、みたいなね。
人によって、何がいいかどうかなんて、自分で判断するしかないんだから
そんなことよりも、世の中で言われてる何がいいとか悪いとかよりも、「楽しい」を追っかける方が自分の幸せに近道ですよね?っていう話をよくするようになったんです。
「楽しい」は、マルかバツか、じゃないじゃん
楽しければ、それが答えじゃん
「楽しい」にマルもバツもないじゃん
ただそれだけ
子供の発想です(笑)
もう本当にそこだけに直球で向き合い、自分の心と相談してみて、本音と向かい合ってみて、本心で楽しい時に楽しい方へ進む。
それだけをシンプルに追いかけていった結果、何の不自由もなく、満足な毎日を過ごせるようになりました、ということなので、ピンと来た方は参考にしてみてください。
ぬいぐるみパパでした。
※こちらの記事は全て音声メッセージの書き起こしです
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