争うのが最も非効率、全てを受け入れ共存すれば生きやすくなる
ぬいぐるみパパのツイート解説、本日はこちら
現実社会でも脳内でも心の中でも「衝突する」のが一番非効率なので、僕は常に認めて共存するを一貫してます
めんどくさいと共存、楽したいと共存、飽きやすいと共存、などなど
自分も相手も全部そのままでOKって考え方を習慣化すると良い所しか目につかなくなり、どんどん生きやすい世界になっていきます
これは、文字にしても声に出して読んでも、ちょっと分かりづらいかなぁって自分でも思うんですけど
ようは、自分の中の特徴で、世間的には良くないとされる部分でも、全部受け入れて認める、という意味ですね。
例えば、僕自身すごく面倒くさがり屋なんですが、それを悪いこととも思わなければ、直そうとも思わない。
「めんどくさい」とか「できれば楽したい」、飽き性ですぐ「もう飽きたー!やりたくなーい!」とかって言うと、世の中では良くないといわれがちだけど
それ、その自分の中にある、世間的には良くないっていうマイナスポイントや弱い部分を、全部ひっくるめて「共存する」って発想なんですよ。
僕の場合ですけど、全部「そのままでOK」にしちゃうんです。
「僕の中には、飽きやすい僕がいます、弱い僕がいます、楽したい僕がいます、何もかもめんどくさいと思う僕がいます
全部いて当たり前で、それらをなくそうとも思ってません
だって、それが僕だもの」っていう感覚。
昔はそんな考え方できなくて、色々とそれらを克服するため、コーチングやモチベーションアップのスキルを学んだりしてきました。
だから、「そこを克服するためにはどうすればいいか」具体的なメソッドやトレーニングも習得してきたけど、結局はそうやって頑張ることも全て手放しました。
つまり、元の自分に戻ったんですね。
というか、元に戻るように、本当の意味での「本来のありのままの自分」を取り戻すために、自分の内面と向かい合っていったんです。
で、結局一番自分が自分らしい状態、自然体でありのままの状態に戻った時に、いわゆる世間が言う「良くない特徴」、めんどくさがり、意思が弱い、頑張りたくない、サボりたい、みたいな部分を全部OKにしたんです。
「全ての自分と一緒に共存する」って生き方を選び直したんですね。
で、その感覚が定着してくると、「そもそも、それらがOKなんだったら、何がOKじゃないの?」って発想に少しずつ変わっていって
自分の中でOKじゃないって部分がなくなる=自分の全てを許し、受け入れられるって感覚になっていき
(この状態が本当の意味での自己承認です)
つまり、共存というか、自分の中で自己否定感がどんどんなくなっていく、ってプロセスなんです。
自己否定って、「こうあるべき」という思想に繋がってるケースが多くて
「頑張ってるのが正しい」「面倒くさがらずに何でも意欲的にアクティブに行動するのが正しい」
「楽せずに自分からコツコツ苦労するのが正しい」「あきちゃいけない、三日坊主じゃいけない」「継続できる意思の強い人間になることが正しい」
なんて世間では言われるけど、それは万人に対する正解ではない。
そういう人がいても構わないけど、僕はそうじゃないもの。
なので、僕はそこに、善いも悪いも何も感じない
という状態にしていき、どんどんと自分を認めていって、自己否定という概念すらも手放して
最終的には「そもそも否定って何だっけ?」って、ちょっとアホっぽく緩んでいく感覚なんですけど、伝わりますかね(笑)
「あれ?何がダメなんだっけ?」
「何がOKで、何がOKじゃないんだっけ?」
この、よくわからなくなるって感覚が、非常に大切なんです。
(なぜなら、これこそが自己洗脳から解放されるプロセスなので)
何がOKか、OKじゃないか、って曖昧になっていく状態、これは(ちょっと難しい表現になっちゃいますが)「評価、判断をしなくなってる」んですね。
みんな無意識に、自分に対して、判断してるんです、評価してるんです、裁いてるんです。
こういうのを心理面では「裁き、ジャッジ」と表現することがあるんですが、みんな心の中で自分を裁いてるんです。
これは正しいか、正しくないか、という二元論で常に裁いちゃってる。
だから、とにかく生きづらい。
何が許されるのかもわからず、しかも条件付きでないと許されないから、何もしないまま愛されていい筈がない、と思い込みながら暮らす、という何とも生きづらい人生になってしまう。
では、なぜ裁くようになってしまったかと言うと、ちっちゃい頃そういう風に教育されたから、そういう風に躾けされたから
その時に、悲しい、悔しいって感情が生じてたんだけど、(良い子でいないと愛してもらえないと思い込み)自ら感情を押し殺して、抑圧してしまった。
その抑圧された感情が根っこにあるから、そこから派生して自分の中に「評価、判断、裁き」という思考パターンが生まれてしまって
それを今でも無意識下で継続している、って流れなんですね。
だから、そこの根本をなんとか解決しないと、自己否定感って消えないんですよ。
こんな風に心理や思考をずーっと追っかけていくと、物事は常にシンプルなんだけど
(原因があって結果がある、ただそれだけなので)
表面上で実際に何が起こっていて、その奥には何があるか?という、プロセス全体を眺められないと自己否定は止められなくて
でも、分かってみると、すごく単純なことなんですよ。
無意識に評価、判断、裁きをしてただけなんだ、と。
じゃあ、今後はそれをしなきゃいいんだ、手放せばいいんだ、と。
でも、無意識なので、勝手に脳の中でまた裁きをしようとする。
それは、脳の仕組みとして(いつもお話しするように)思考パターン、思考回路が習慣化されてて、癖として残ってるだけなので
「あ、また癖で自分を裁いて、自己否定しようとしてる…この脳はしつこいなー(笑)」と、ただ眺める
そこでも、裁かない、評価しない、判断しない
ただ「そういう現象が起きている」と眺める
で、いちいち脳の言うことを聞かない(単なる癖で繰り返してるだけなので)
「あ、まーた同じ発想してる、しつこいなぁ」
「でも、癖だからしょうがないよなぁ」
「貧乏ゆすりもなかなか直らないもんなぁ」
と、所詮はそんなもんさ、みたいな軽い受け取り方をする(ここがものすごく重要)
「あ、癖がまた発動した、はいはい」って受け流す
それを延々と繰り返していくと、自分の中の固定観念が溶けていき
「何が悪かったんだっけ?何も悪くないよね?だって、どれも僕の個性、性格だもん」って認識になっていって
段々と、弱い自分と共存すればいいだけの話じゃん、って腹落ちするんですね。
変化、成長していく過程、未熟さや中途半端さも、全て自分の中で共存する。
もっと言ったら「悪いって何だっけ?善いも悪いもないよね、世の中には現象があるだけだよね」って感覚に落ち着く
この世界は、原因があって結果がある、ただそれだけ
プロセスがあって、理由があって、こうなった、ただそれだけ
という発想が段々と定着してくると、自分だけじゃなくて、世界が丸ごとそう見えてくる。
全ての人が、そう見えてくるんですよ。
争いごとっていうのが、僕にとって一番無意味なんですね。
戦争とか話が大きくなっちゃうとイメージしづらいかも知れませんが
僕の大好きな、水木しげる大先生という、妖怪の絵を描いていた先生がいらっしゃるんですけど
彼の言葉で「戦争なんてしてはいけない!腹が減るから!」っていうのが名言として残ってるんですけど
正義感や道徳とかでモノを見る、考えるんじゃなくて、シンプルに「腹が減るじゃん」と。
戦ってる奴は腹が減るだけで、何の生産性もないじゃん
争うことで、戦争することで、壊すだけで、壊して自分が消耗して、お腹が減って、みんな困るだけで、みんな飢えるだけで
それで、何が残るの?
焼け野原しか残んないじゃん?と。
これって、人間関係の衝突でも同じだし、自分の内面と外面の葛藤も同じ
自己否定って、そういうことじゃないですか。
内面で争ってる、衝突してるだけじゃないですか。
それって、生産性ゼロじゃん?
お腹が膨れるんならまだマシだけど、何にもないじゃん?
だから、争う、衝突するっていうのは、心の理由としては仕方ないんだけど…
だけどやっぱり、何のメリットもない、お腹が減るだけ
なので、僕は絶対に争わない、否定もしない。
自分も、相手も、世の中も、時代も、社会も、何も否定しない
ただ眺める
っていうスタンスを続けていく。
で、本当に自分がやりたいことにエネルギーを注ぐ。
生産性だけを求めて行動するから、常にどんどん潤っていく、というスパイラル。
これに、100%納得した時、勝手に自分が動き出し、勝手に人生が好転していきます。
無理もせず、頑張りもせず、どんどんどんどん夢に向かって、自分の幸せに向かって、動き出しますよ
っていうのを、僕自身が体現しているので、そんな話を皆さんにも紹介していくっていうスタイルで今後も活動していきます。
ということで、ぬいぐるみパパでした。
※こちらの記事は全て音声メッセージの書き起こしです
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