決断できず流されて生きる人はしんどくて当たり前、自分のシナリオを書き換えよう
ぬいぐるみパパのツイート解説、本日はこちら
人は皆「自分で責任を取りたくない」から誰かの意見を鵜呑みにします
けどその相手も決してあなたの人生の責任は取ってくれないので結果「全てから見放され無責任に放置された人生」を流されて生きることになる、だからしんどいのは当たり前
自分でシナリオを書き換えるのは誰でも今から始められますよ
という以前のツイートを解説していきますが
行動心理や集団心理などを観察し、人を操る(というと大袈裟ですが)ためや組織の上に立つためにリーダーシップ理論とかを学んでいくと、やっぱり「(大抵の人は)こういうところに行き着く」っていう傾向が色々あって
自分で決めれないっていう人がほとんどなんですよね。
自分で決断するのが苦手な人が本当に多い。
もう、これは別に「弱い」とか「劣ってる」とかじゃなくって、そういうものだから仕方ない。
意思決定が得意なタイプと苦手なタイプって、性格というより環境的な要素から考えた方が分かりやすくて、今は色んな考え方、説や意見がありますけど
大きく分けると、西洋的な考え方と東洋的な考え方、そもそもの人種で異なり、生まれ育った背景や文化の出来上がり方が全然違う。
自ら意思決定ができて、個人の力で自己表現していくのは西洋的な考え方で、自分をまず優先して「自分を!自分を!」っていう独立思考
個人優先の社会観、世界観が西洋では良しとされている(傾向が強い)。
かたや、東洋では民族同士、みんなで調和することが優先だった。
日本は特に島国なので、俺が!俺が!って言ってたら村八分になってしまう。
そうすると組織やコミュニティが機能しなくなるから、みんなで調和することが優先、(個人より)みんなの意見を大事にするという考え方が根本にある。
それはもう良い悪いではなく、環境によって出来上がった風土や空気感。
そんな中で、コミュニティが存続することを優先されるから、「自分一人の意見っていうのを重要視しない」という側面も出てくるわけで。
そういう風に歴史を紐解いていくと、人の心理って更に面白かったりするんですけどね。
だから、どちらが良い悪いとかじゃないんだけど、「自分の発言に責任を取りたくない」「自分の決断に自信を持てない」っていう特性は比較的日本人は強いですよね。ほとんどの人が持ってますよね。
っていうバックグラウンド、背景があるんですよ。
で、それで自分がいいならいいんだけど、確かに弊害も存在しますよね、と。
それによって責任の所在が不明で、たらい回しにされるとかね。
自分は自分で決めたくない、人に決めてもらう方が楽、で問題なかった時代なら良かったんだけど、それによってどんどん窮屈な人生になってしまうとか
だんだん気がついたら、今で言うところのブラック企業で、言いなりになって働く状況になっていたとか
だけど、「自分は他に行き場もないから言うことを聞くしかない」と言って、ますます泥沼化していく。
客観的に見たら有り得ないような、「おかしいでしょ?その生活」っていうような状況を甘んじて受け入れてる人って本当にまだまだたくさんいるんですよね。
少しずつ世間から注目されることによって、労働環境の悪さや生活環境の悪さにメスが入り、日が当たるようにはなりつつあるのかもしれないけど、まだまだ多くて。
で、結局そういうところを批判してても埒が明かなくて
なぜかというと(いつもお話しするように)人間っていうのは習慣の生き物で、思考も習慣なので、ずーっと同じような情報をインプットされてると「もう他のパターンを考えられなくなる」っていう機能になってるんですよね。
なので、「これが当たり前」って思っちゃったら、人はもうそこに居続けるんですよ。
「私は苦しいのが当たり前」
「そもそも人生とは辛くて当たり前」
「仕事っていうのが辛くて当たり前、そのために生き抜きで趣味がある」
「仕事は辛くて趣味は楽しいのが当たり前」
っていうイメージを結構多くの人が普通に持ってると思うけど、僕にとっては全然違ってて
「すべての時間が楽しくて当たり前」と、そもそもの基準が全然違う。
それは全て、過去苦しいだらけの人生だった僕が自ら書き換えた新常識で、人生のデザインは自分でできる。
朝起きてから夜寝るまで(寝てる間も含めてですけど)全部の時間が楽しくて当然だと僕は思ってるし、僕と同じように思ってる人も実在するんですよ。
その価値基準やバランスをデザインするのは自分次第。
どういう人生を生きるか、人生のシナリオ、ストーリー展開、すべて自分で選べるんですよ。
だけど「そんなこと言ってて、うまくいかなかったらどうするんだ!」って、責任の所在を自分にしたくないから人のせいにする
「誰々に言われてやってるんだから仕方ない(私は悪くない)」って甘んじて受けるっていうパターンに陥りがち。
だから、それすらも否定はしないけど「あなたは本当は何を望むんですか?」ということですよね。
時代の流れ的にいうと、そういうバックグラウンドドがあったから、みんな選ぶのが苦手なのは分かっていながら、段々と国や社会が「もうそろそろ自分で決めないと危うい時代になってきましたよ」ってなってきて
(終身雇用制度がなくなったり、年金じゃ足りなくなったり)
みんな「なんだかなぁ…」「今更どうしろって言うんだよ…」ってなってると思うんですよ。
で、国や社会を責めるっていう場面も多々見受けられますよね。
でも、責めてても何にも前には進まなくて、「そもそも最初から自分で選んだはずですよね、この人生」ってのが真実で。
それは、「自ら意思決定」というのを選べなかった人が悪いのか?弱いのか?といったら全然そうじゃなくて
全体図を見て、バックグラウンドを見てみると、そうなったのは必然で、誰も何も悪くない。
いつも話させてもらってますが
そういう環境で育って、そういう情報の中で、そういう思考回路を続けてきた結果、思考パターンがそういう風に習慣化されたから、そう思ってしまう
だから、怒りを感じても憤りを感じても仕方ない
それは誰が悪いとかじゃなくて、当然の現象、原因があって結果があって、そうなってるんだから。
大切なのは「今あなたは何をしたいか、したくないか」だけ
変えたいなら変えればいい
文句を言ってないで変えればいい
「できるできない」じゃなくて、「どうしたいか」
この「どうしたいか」が明確になり、自分の本音がわかった上で、同じプロセスなんだから発想を逆転させればいいだけ。
自分の思考パターンがそういう風にがんじがらめになったんだったら、それを解放していく、上書きしていく、書き換えていくっていうプロセスに進みましょう、という話。
「それができたら苦労しねーよ」って声も聞こえてきますけど、そういうことじゃなくて、もう一度戻りましょう
あなたは何がしたいんですか?
と、常に常に、原点に戻り、自問自答する。
誰かに食ってかかる、人を攻撃するのも、「人の意見に影響されてるから」なんですよ。
いろんな情報が世間をぐるぐる回ってる中で、誰かを攻撃するっていうのは、誰かに反応してるから
なので、他人に反応しない、自分の内側と向かい合う。
自分とのやりとりのみに集中する。
自分の思考回路がガチガチに固められてるんだったら、自分で嫌だなと思い、自分で「それを上書きしよう」って決断する、そういう感覚ですね。
賛成するのも反対するのも常に相手ありきの出来事であって、それで自分が変わるならいいし、それで自分がハッピーなら構わないけど
「何も変わらないんだったら、まずは自分と向き合いましょう」というお話でした。
ぬいぐるみパパでした。
※こちらの記事は全て音声メッセージの書き起こしです
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