ぬいぐるみパパのツイート解説、本日はこちら
チャレンジする人を笑ったり、そんな人を笑わないで!と叫んだり巷では色々声が飛び交いますが、はっきり言って「夢中になるとそんな事も気にならなくなる」
これが楽しいを追求する夢実現法の最強たる理由だと僕は確信してます
無視する訳でもなく、そもそも聞こえない、気にならない、前しか見えない
っていうのが、僕の持論ではありますね。
気になってしまう、っていうのが悪い訳ではないんですけど、もう気にしてたって仕方ない、というのも一つありますし
いろんな批判を受ける、アンチがどうのとか、攻撃を受ける、で「そんなのに負けるんじゃねぇ、そんなの俺だってそうだった」とかアドバイスする人もいて、色々ありますけど
そんな人は「負けてたまるか精神」で頑張る、っていうことじゃないですか。
それは、ストーリーとしては面白い、素晴らしい、感動もの、なのかもしれないけど、僕はあんまり好きじゃないんですよ。
なぜかって、いつも言うように、もともと僕は子供達に教育を教える、教育者、先生の立場でいたから、僕のメッセージ、僕のやり方、考え方が、次の世代、次の世代って、子供達に連鎖するんですよね。
で、「バカにされたからって諦めちゃいけない」「頑張って、努力で乗り越えるんだ」ってメッセージは、一見素晴らしいんですが、それって実は、ずっと頑張り続ける、ずっと挑み続けること前提で。
高みを目指せ!諦めたら負けだ!っていう強いメッセージって、かなり深いところに染み込むと言うか、グサッて刺さるような情熱のある想いじゃないですか。
で、それができる人ならいいけど、できない人もいるわけですよ。
そもそも、それを望んでない人もいるんですよね。
僕も一時期は、そういうのを目指してたんだけど、心を壊してしまったり、自分が頑張れない、できない状態になって、社会からはみ出してしまう経験とかもしてきて
そうなってしまったら、居場所がなくなっちゃうじゃないですか。
誰しもが、努力と根性で乗り越えろモードで成功する人ではなくて、みんな色んな個性があって、性格があって、もっとのんびりが性にあってる人もいる。
「いやいや、そんなに激しく、ガッツだぜ!根性だぜ!じゃなくて、私はただ穏やかに暮らしたいだけなんです」って人もいる。
頑張ってる人だけを称賛する世論、そういうメッセージの教育にしてしまったら、頑張ることにそもそも興味を持たなかった人がダメな子扱いされちゃうんですよ。
頑張れない人が劣等感を感じなきゃいけない空間になってしまう。
でも、そんなことなくて、走れるんだったら全力で走りたい人は走れよ、山登りたい気分だったら登れよ
だけど、ピクニックしたい人だっているじゃん。
のんびりお茶の間や縁側で、お茶飲みたいお菓子食べたい子もいるじゃん。
その子達が劣ってるとだけは言わないで欲しいというのが、僕の本音なんです。
だから、僕は「楽しい」を追求するんです。
誰よりも情熱を込めて。
だけど、その情熱をわかりやすい表現で「頑張れ!負けるな!」とは言わないのは、僕の本心がここにあるから。
誰もが心穏やかに、幸せになれる表現を追い求めていったら、「楽しいを追求する」っていう答えが出たんです。
突っ走るのが楽しいなら楽しんでくれ、山登りが楽しいなら楽しんでくれ
でも、のんびりするのが楽しいと感じる人もいるんです。
「楽しい」でくくっちゃえば、全員が正解になるんですよ。
で、それだけきちんと自分の本心と向き合い、本心から自分がやりたいこと、自分が好きなこと、楽しいことを追求する結果、夢中になったら周りのことが気にならなくなるから。
誰がどこを走ってようが、誰が先に結果を出そうが、誰が数字を集めようが、お金を稼ごうが、全然関係ないし。
「あいつ、あんなところで、まだあんな事やってるよ」とか、逆に頑張って走っていった人に「そんな無理しなくていいのに、気取って、ちょっと調子づいて、全力で走っててダセー」とかっていう人がいても、気にならないじゃん。
どうでもいいじゃん、こっちが楽しくて夢中なんだから。
本音の本音の楽しいを見つけて、そこに没頭して夢中になると、いい噂も悪い話も、全然興味がなくなって、もう本当にどうでも良くなりますよね。
その時に初めて、個々のペース、個々人の一番見たい景色、味わいたい空間、時間の使い方、大切にしたい生き方が見えてくる。
「生きる」ということを心の底から満足する、っていう人生を歩めるようになるんじゃないのかな、と思ってこんな話をさせて頂いてます。
というわけで、ぬいぐるみパパでした。
※こちらの記事は全て音声メッセージの書き起こしです
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